イタリアの緑のこころ
イタリアに暮らす一移民として近年肌に感じる変化
「祖国を離れて異国の地で暮らす人」
約10年前に、シエナ外国人大学の授業で、「移民」をこう定義する先生の言葉に、ひどく驚きました。イタリア語では、immigratoと言う「移民」を、わたしは、「諸事情のために自らの国で生きていくことができないため、外国に移住して、貧困と闘いながら暮らしていく人々」と、いつの間にかそんなふうにとらえていたからです。そのため、最初は語学留学で訪れたイタリアで、後に職を得て、その授業を受けていた頃にはさらに、イタリア人の夫と結婚して暮らしていたわたしは、「ならば、わたしも移民だったのだ」と、驚いたのです。
ただ、今この記事を書くにあたって、伊伊辞典で調べると、「移民」は、狭義としては、中でも特に「諸国間の経済的格差のために、仕事を求めて祖国とは異なる国に移住して暮らす人」を指すとありますから、イタリアに暮らす中で、マスコミ報道などを通してわたしが培った「移民」のイメージも間違ってはいなかったわけです。
閑話休題。明らかに東洋人であるわたしが、イタリアに暮らし始めたのは2002年4月からです。最初の半年はマルケの小村、以後は主にペルージャに住んでいるのですが、移民として20年近くイタリアに暮らしてきた中で、大きく変わったと思うのは、初めて出会った見知らぬ人の、わたしへの接し方の変化です。わたしがイタリアに住み始めた頃には、東洋人と言えば、日本人観光客や留学生が多かったためか、知らない人と話すことになった際に、相手が最初から、わたしのことを「日本人ではないか」と考えている場合が多く、どちらかと言うと友好的に、あれこれ質問をしたり話をしたりしていた人、日本文化に関心があるという人が多かったように思います。すれ違うときに、「ありがとう」とか「さようなら」とか、わたしに直接話しかけるのではないけれども、からかうように、あるいは好奇心からか、遠くから言うような人にも、まれに出くわしたことはあるのですけれども。
それがいつの頃からか、町ですれ違ったり、バスで乗り合わせたりする知らない人や小学生や中学生が、わたしを見て、中国人ではないかと思い、わたしに直接話しかけるわけではなく、けれども自分たちだけの間で、「中国人」(cinese)と声に出しているのだけれど、それが確実にわたしのことを言っているのだろうと思われ機会が、時々あるようになりました。
中国商品や中国からの移民の進出がイタリアで、そして地方であるペルージャでも進んできたために、東洋人を見かけたときに、以前は日本人だろうと考えていたのに、今では、中国人だろうと考えるイタリアの人が多くなってきたのではないかと思います。ペルージャに限らず、特に外国に暮らしていると、着る服なども祖国とは異なる場合があるためもあって、わたし自身も、何かの際に初めて対面する東洋の人が、日本の人か、それとも中国や台湾や韓国の人か、判断するのが難しくはあるのです。実際、かつてペルージャ外国人大学で、学んでいたときにも教えていたときにも、廊下やエレベーターで出会った東洋の人から、同胞だと勘違いされて、その人たちの母国語で話しかけられて理解できずに、とまどったことがありますし、また、わたしの方が、相手が日本の人だと思い込んで話しかけたら、他の国の人だったという場合もあります。上述の近年の傾向で、わたしが感じるのは、それだけ中国から移民としてきて暮らす人々が多くなったのだろうということです。そして、残念ながら、そうした移民たちの仕事や中国経済の進出を、自国や自らの暮らしへの脅威とみなして、わたしを初めて見る、すれ違うだけの人が、猜疑心や敵対心、あるいは偏見を抱いているのではないかと感じられることが、時にあるようになりました。
漢字質問そこで日本語の授業で中国古代史 を投稿しました。 #エキサイトブログhttps://t.co/h3wREFsfz0 pic.twitter.com/s0Ydz7IlZL
-- Naoko Ishii (@naoko_perugia) November 15, 2021
もちろん、中国の文化はすばらしいと言うイタリアの人にも少なからず出会ったのですが、やはりイタリアのマスコミ全般の報道の在り方が、実際の中国経済や中国からの移民がイタリアに与える影響や偏見を、助長している場合もあるように、残念ながら感じています。聞こえよがしに「中国人」と言うのは、たとえわたしが中国出身だったとしても失礼極まりないと思います。
日本全国各地に暮らす日本の方の、外国の方への接し方が千差万別であるように、イタリアでもまた、地域によって、年齢層や受けた教育によって、また個々の人によって、対応の仕方は様々であることでしょう。ですから、あくまでわたしという一個人の感想ではあるのですが、20年近くイタリア中部で、移民として暮らしてきて、すれ違う見知らぬ人々のわたしを見る目が、今は以前ほど好意的でないような、そんな気がしています。
著者プロフィール
- 石井直子
イタリア、ペルージャ在住の日本語教師・通訳。山や湖など自然に親しみ、歩くのが好きです。高校国語教師の職を辞し、イタリアに語学留学。イタリアの大学と大学院で、外国語としてのイタリア語教育法を専攻し卒業。現在は日本語を教えるほか、商談や観光などの通訳、イタリア語の授業、記事の執筆などの仕事もしています。
ブログ:イタリア写真草子 Fotoblog da Perugia
Twitter:@naoko_perugia