「漢文は必要ない」論に、アメリカ人として物申す
YUSUKE MORITA-NEWSWEEK JAPAN
<度々ネットで議論になる漢文不要論。僕自身は、漢文を義務教育で教えることに賛成だが、「返り点不要論」は主張したい。大人向けには、もうひとつ別の提案もある>
小学生の時、筆記体をずいぶん練習させられた。時代は時代で、例えば「y」が下まできれいに伸びてからくるりと丸を作らなければ、先生に定規で手をたたかれた。痛っ!
日本でも筆記体を一通り習った人は多いと思うが、ここで質問。大文字の「Q」はどうやって書くか。
筆記体の種類によって書き方は少し異なるが、数字の「2」にしか見えない「Q」もある。混乱の可能性があると感じるせいか、多くのアメリカ人は大人になると筆記体の知識を捨て、Qを単にブロック体で書くようになるようだ。
これでは、痛い思いをしながら、結局は使わない筆記体を習ったことになる。最初から学ばなくてもよかったのではないか。
日本にも「学ぶ必要があるのか」と度々話題になるものがある。漢文だ。つい最近もネットで議論になっていた。
『日本書紀』をはじめとする古代の文献は漢文で書かれている。自国の歴史や文章の成り立ちを知る上で必要とされ、代々学ばされてきたが、どれだけ実用的なのかというわけ。
気持ちは分かるが、なくすのはどうかな。
筆者は漢文のある一句で自分の人生がかなり変わった。『論語』の、それなりに有名な一句。現代文バージョンで一部を抜粋すると、「三十にして立つ、四十にして惑わず」。
40歳を目の前にしたとき、「惑わず」という言葉が力になった。「安心して、そのまま進め」という大事なメッセージが大事な時期に僕に伝わった。孔子に感謝。
でも、「返り点」が僕にはどうにもなじまない。孔子のこの助言は元は古典中国語であり、日本で漢文として習うときは以下のようになる。「三十而立 四十而不惑」
「不惑」にはレ点が付き、「不レ惑」=「惑わず」。そう友達に教えられ、漢文を訓読するための数種の記号が交じったほかの漢文も紹介された。そのうち古典中国語を日本語として読むことに疲れ、やる気を失ってしまった。
立原正秋の1969年の小説『冬の旅』に、以下のくだりがある。「不惑の年から十年もすぎていた」。この作家は論語を学んでいたからこそ50歳をこのように表現できた。読者もその知識があるからこそ理解できる。
僕の経験のように人生を豊かにする教養を得るためにも、そして日本文学の深みを保つためにも、やはり義務教育で漢文を教え続けたほうがよさそうだ。