少子高齢化の「漆器の里」を襲った非情な災害――過酷すぎる輪島のリアルから見えるもの
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輪島塗の最大手「五島屋」の7階建てのビルが横倒しに。上空には自衛隊のヘリコプターが行き交う(1月14日、輪島市)KOSUKE OKAHARA FOR NEWSWEEK JAPAN
<古い木造家屋ほど倒壊、トイレ問題の実態、子育て世代の本音......どこでも起き得る「輪島の今」は人ごとではない【本誌1月30日号 特集「ルポ能登半島地震」より】>
1月1日午後4時10分頃。石川県輪島市の朝市から程近い所にある輪島塗漆器店・二井朝日堂の二井雅晴(60)は、自宅兼職場の3階で朝から始めた作業をちょうど終えたところだった。有名な朝市も正月三が日は休み。二井もいつもなら元日はテレビを見て過ごすが、納期に間に合わせるため今年は中塗りの作業をしていた。
使っていた道具をしまった時、大きな揺れに襲われた。すぐに石油ストーブを消して手で押さえ、程なくして2階にいる母親の様子を見に行くと、さらに大きな2度目の揺れが来た。冷蔵庫が母親のほうに向かって倒れたが、ダイニングテーブルが食い止める形で母親との間に辛うじて30~40センチの隙間ができた。
「テーブルがなければ直撃でした。あんな揺れを経験したのは初めて。昔、能登半島地震がありましたけど、あの揺れと比較になりません。今回は立ってても座ってても、家がつぶれると思いました」と、二井は語る。輪島市は震度6強。2007年3月の能登半島地震でも同じく震度6強が観測されたが、今回の地震は二井が知る地元の姿を一変させた。
「すぐに大津波警報が出まして。86 歳の母親は足が不自由なもんで、離れた所にある駐車場に車を取りに行ったんですが、五島屋という7階建ての漆器屋さんのビルの前を通ってびっくりしました。大きいビルが根こそぎ倒れてましたから」
北陸から日本海に突き出た能登半島の先端に位置する輪島市は、古くから輪島塗を主要な産業としてきた。日本有数の漆芸品である輪島塗は1977年に国の重要無形文化財に指定され、街全体が輪島塗の「工房」として伝統をつなぐ。
朝市周辺には塗師屋(ぬしや)造りと呼ばれる職住同居の漆器店が点在しているが、筆者が1月14日に訪れると、そのうちの店の1つは1階が2階に押しつぶされていた。店の前には屋根から落ちた瓦とガラスの破片が散乱し、傾いた屋号の看板に「危険」と書かれた赤紙が貼られている。
約300棟が焼損したと推定される朝市では、県警などによって安否不明者の一斉捜索が続けられていた。黄色い規制テープの先に広がる観光名所の光景は空襲後のようでもあり、上空には自衛隊のヘリコプターがバラバラと音を立てて飛ぶ。
雪が解けだした道路にはひび割れや隆起が見られ、地面からはマンホールが管ごと飛び出し、傾いた電柱には切れた電線がだらりと垂れ下がっていた。