目標だった「福田ドクトリン」は今や現実に 日本とASEAN50年の歩みと、これからの協力関係
──JICAによる協力の成果をどう評価していますか。
早川 日本と東南アジアの協力は、ビジネスや民間ベースの協力・交流を含めて複層的なものであって、ODAの果たした役割はその一部ですが、全体として日本の協力はうまくいったと評価して良いのではないでしょうか。JICAのさまざまな協力は人づくり・国づくりの支えとなり、また各国の民間セクターの発展のベースとなり、ASEAN地域の開発と経済発展に大きく貢献したと思っています。そして、それ以上に大事だと思うのは、日本がASEAN諸国の成長を信じて長期にわたり協力してきた歩みです。
今でこそマレーシアやタイに続きインドネシアは中進国の仲間入りをし、ベトナムやフィリピンもそのすぐ後を追っています。しかし1980年代から90年代にかけては、国際社会はASEAN諸国がこの先、順調に発展するかどうか確信を持っていなかったと思います。一部の国はいったん高成長を達成したものの、その後97年のアジア通貨危機で大きなダメージを受けたこともあり、当時の国際的な開発協力のコミュニティは、多くの途上国が貧困削減のために援助に依存する姿しかみえず、ASEAN諸国が成長していく道筋を描けずにいたのです。
しかし、私たちは、日本が戦後大きく成長したように、ASEAN地域が発展することを信じて疑いませんでした。だからこそJICAは、ASEAN諸国自身の成長への思いに寄り添いながら、共にビジョンを描き、その達成に向けた計画作りを進めてきました。長期的な視野に立ち、ASEAN諸国の政府や人々の主体性を重んじ、現場で共に国づくり・人づくりを推進してきた姿勢こそ、最も評価してもらえるのではないかと思います。この姿勢は決してODAに限られるものではなく、民間企業、NGOや研究者の方々など多くの日本の関係者に共通したものだと思いますし、それが東南アジアの人々の親日度や日本への信頼につながったと考えています。
──ASEANに対するJICAの重点領域の一つに、「ASEANの連結性強化」 があります。これはどのような協力なのでしょうか。
早川 ASEANがこれほど発展した要因の一つとして、90年代まで続いたインドシナ半島での戦乱を最後に、地域に大きな紛争がなく安定が続いていることが挙げられます。「戦場から市場へ」の呼びかけのもと、各国政府はときには合意に至らずとも対話を重ね、また団結すべきときは一体となって、ASEANという枠組みを作り上げてきました。地域の安定はまさしく成長の源です。この発展を維持していくためには、域内で紛争が起こりようもない状況を保てるよう結束性を高め、さらに地域としての長期的ビジョンを共有することが大切です。
ASEAN原加盟国(1967年に加盟した5カ国)と後期加盟国との間に広がる「地域内格差」を是正するという意味でも、「連結性」はASEANにとって非常に重要なキーワードと言えます。JICAでは、各国をつなぐ道路や橋といったインフラ整備などによる物理的な連結性、物流の円滑化を図る通関システムなど制度的な連結性、そして、人と人とのつながりを重視した高等人材・産業人材の育成、研修、大学・研究機関の間や人的なネットワーク強化といった人と人との連結性という3つの観点から、域内の結束を高める取り組みをサポートしています。