「ワグネル」もう1つの戦場...中東の「覇権争い」に、ロシアとエジプトまで絡んだスーダン紛争の奇々怪々
Really a Proxy War
サウジアラビアは今年3月、仇敵イランとの関係正常化に踏み切り、世界を驚かせた。さらにシリアに対しても融和路線に転じ、シリアのアラブ連盟復帰に道筋をつけた。
様変わりした中東の勢力図を背景に、サウジアラビアの事実上の指導者であるムハンマド・ビン・サルマン皇太子はUAEとの主導権争いに本腰を入れ始めた。
両国の競争激化の背景には地政学的な変化に加え、経済的な要因も働いている。サウジアラビアとUAEは近年、石油頼みの経済からの脱却を目指し、航空、スポーツ、インフラ建設など多様な産業分野で頭角を現しつつある。
両国の対立が表面化したのは09年。湾岸諸国は経済の統合と共通通貨の導入に向けて「GCC中央銀行」設立を目指していたが、どこに本部を置くかで意見が分かれた。
すったもんだの末、サウジアラビアに創設されることになったが、土壇場でUAEが理由も告げずに「イチ抜けた」と宣言。中央銀行も共通通貨も構想倒れに終わり、サウジアラビアとUAEの関係はさらにこじれて「代理戦争もどき」にまで発展した。
15年に始まったイエメン紛争で、当初UAEはサウジアラビアと共に反政府勢力のホーシー派と戦うイエメン政府軍を支援していた。しかし2国の足並みは次第に乱れ、イエメンの暫定政権を支援するサウジアラビアを尻目に、UAEは南部の分離独立派「南部暫定評議会」にてこ入れするようになった。
これによりUAEは、イエメンの多くの港湾と島々を管理下に置いて、バベルマンデブ海峡と「アフリカの角」と呼ばれるアフリカ東部地域への航行ルートを確保できた。
サウジアラビアとUAEは今や対米関係でも対抗意識をむき出しにしている。18年に起きたジャーナリストのジャマル・カショギ殺害事件をきっかけにサウジアラビアとアメリカの関係は急激に冷え込んだ。ムハンマド皇太子がカショギ殺害を命じたと、米情報機関が断定したためだ。
UAEはこれを奇貨として、サウジアラビアに取って代わり湾岸地域におけるアメリカの最も重要な軍事的パートナーになろうとした。
UAEは20年にアメリカの後押しで、イスラエルとアラブ諸国が国交を正常化する「アブラハム合意」に署名した(アメリカは現在、サウジアラビアとイスラエルの国交正常化を実現させようとしているが、今のところサウジアラビアは乗り気ではない)。