最新記事
チベット

「ダライ・ラマは小児性愛者」 中国が流した「偽情報」に簡単に騙された欧米...自分こそ正義と信じる人の残念さ

MANIPULATING BIASES

2023年6月1日(木)18時02分
マグヌス・フィスケジョ(コーネル大学准教授、人類学)

230606p46_DMA_03.jpg

チベット自治区を訪問し、ラサ近郊の僧院を視察した習近平国家主席(2021年7月22日) XIE HUANCHIーXINHUA/AFLO

そこに「小児性愛」を見るのは西洋人の「心が汚れて」いるからだと、インドの識者は言う。西洋人の人類学者である私は、そこに異なる文化やジェスチャーを理解することの困難さを見る。

その困難さを、中国の宣伝工作部隊は巧みに利用した。SNSのユーザーが、こういう動画にどう反応するかも知っていた。たいていの人はチベットの文化も慣習も知らない。ましてや「舌を吸う」に性的な意味がないとは思わない。一方で、キリスト教の聖職者に小児性愛者がいることは知っている。この無知と偏見に、中国側は付け込んだ。そして聖職者であるダライ・ラマを小児性愛者に仕立てた。

まんまと作戦は成功した。この偽情報は爆発的に拡散し、世界中でダライ・ラマとチベット人の評価が下がった。チベットで中国政府が進める民族文化抹殺政策に目を向ける欧米メディアはほとんどなかった。

するとダライ・ラマの事務所は、ダライ・ラマの「言葉が誰かを傷つけたのなら」謝罪するという声明を出した。国際社会への配慮なのだろうが、チベットの人たちは混乱した。謝る必要はないと、みんな思っていた。だからダラムサラやラダックでは、ダライ・ラマを支持する自然発生的なデモが行われた。

この事件全体を考えているうちに、ある古い記憶が脳裏に浮かんだ。人類学のフィールドワークで、中国とミャンマーの国境地帯に住むワ族の人々を訪ねたときのこと、すぐ近くに赤ん坊を抱いた若い母親がいた。すると彼女は、赤ん坊に口移しで食べ物を与え始めた! そんな光景は初めてで、私は思わず目をそらした。見てはいけないプライベートな、ほとんど性的な行為に思えたからだ。

もちろん、そこに性的なものを見たのは私だけだった。ワ族の人なら、少しも性的だとは思わない。口移しで幼児に食べ物を与えるのはワ族が日常的に行っていることだ。プラスチック製のスプーンが普及していない地域では、たぶんどこでも行われていることだろう。

あのときの私の混乱は、ダライ・ラマの行為に対する西洋人の群集心理的な反応に似ている。欧米のSNSにばらまかれた悪意ある画像を目にした多くの人が、そこにハリウッドの大物映画人のゆがんだモラルとセクハラを重ね合わせた。悪意の存在を疑う人はほとんどいなかった。仕掛けた側は、ただ小児性愛をにおわせるだけで十分だった。後は人々が勝手に解釈してくれた。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

ヨルダンと西岸の境界検問所で銃撃、イスラエル軍兵士

ワールド

米、EUへの輸入依存加速 中国上回る=民間調査

ビジネス

再送(18日配信記事)-パナソニック、アノードフリ

ワールド

米・イスラエル、ガザ巡る国連職員の中立性に疑義 幹
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「何だこれは...」クルーズ船の客室に出現した「謎の物体」にSNS大爆笑、「深海魚」説に「カニ」説も?
  • 2
    燃え上がる「ロシア最大級の製油所」...ウクライナ軍、夜間に大規模ドローン攻撃 国境から約1300キロ
  • 3
    1年で1000万人が死亡の可能性...迫る「スーパーバグ」感染爆発に対抗できる「100年前に忘れられた」治療法とは?
  • 4
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 5
    「日本を見習え!」米セブンイレブンが刷新を発表、…
  • 6
    アジア作品に日本人はいない? 伊坂幸太郎原作『ブ…
  • 7
    ケージを掃除中の飼い主にジャーマンシェパードがま…
  • 8
    「ゾンビに襲われてるのかと...」荒野で車が立ち往生…
  • 9
    中国山東省の住民が、「軍のミサイルが謎の物体を撃…
  • 10
    中国経済をむしばむ「内巻」現象とは?
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 3
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる」飲み物はどれ?
  • 4
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 5
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 6
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 7
    「何だこれは...」クルーズ船の客室に出現した「謎の…
  • 8
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 9
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 10
    電車内で「ウクライナ難民の女性」が襲われた驚愕シ…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 5
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 6
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 7
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 8
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 9
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 10
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中