「時限爆弾」だと専門家は警告...アメリカ社会を蝕み始めたスポーツ賭博、その標的とは
RISKY BUSINESS
アメリカでのスポーツ賭博合法化の流れはニュージャージー州から始まった。最高裁の合法化判決以前は、1992年の連邦法「プロフェッショナルおよびアマチュアスポーツ保護法(PASPA)」によってラスベガス以外のほとんどの場所でスポーツ賭博は違法とされていた。
同法はバスケットボールの名選手だったビル・ブラッドリー上院議員(当時)が提唱したもので、合法的なスポーツ賭博の拡大阻止が目的だった。賛成派は選手の八百長行為を防ぎ、スポーツの公正さを守るのに役立つと主張した。反対派は闇ギャンブルを仕切る犯罪組織の力を強めるだけだと反論した。
ただし、ブラッドリーの地元ニュージャージー州では、以前から合法ギャンブルを支持する動きがあった。同州のアトランティックシティーは78年、ラスベガスがあるネバダ州以外で初めてカジノを合法化した都市となった。11年には住民投票でスポーツ賭博の合法化提案が承認され、12年にクリス・クリスティー州知事(当時)が合法化法案に署名した。
違法の州でも電話相談が急増
だが、NCAAと4大プロスポーツリーグがPASPAを根拠に州を連邦裁判所に提訴。州は敗訴したが、最終的に最高裁まで上告した。
この間にスポーツ賭博をめぐる空気は大きく変化し、多くの州が関心を示した。もちろん、ギャンブル業界も合法化を支持し、多額のロビー資金を投入した。
長年あらゆる賭博に反対の姿勢を貫いてきたプロスポーツリーグも立場を変更。14年、プロバスケットボールNBAのアダム・シルバー・コミッショナーはニューヨーク・タイムズ紙に寄稿し、未成年の賭博防止策やギャンブル問題を抱える人への支援策などの導入を条件にスポーツ賭博を解禁する時が来たと主張した。
18年5月、最高裁はニュージャージー州を支持し、PASPAを違憲と結論付けた。
同州で合法スポーツ賭博が初めて行われたのはこの判決のわずか1カ月後。間もなく問題のある賭博行為も増え始めた。19会計年度、州の相談サービスにかかってきた電話は606件。それが21年度には2倍以上の1439件に増えた。
同州の賭博を追跡調査しているラトガーズ大ギャンブル研究センターによると、今や全米平均の3倍に当たる6%以上の州民が「ギャンブル障害」を抱えているとみられる。それより症状が軽いギャンブル問題に悩む州民は約15%で、こちらも全米平均の3倍近いという。