権力集中に走る習近平の野心と不安
Xi’s Latest Power Grab
習が3月に設置した中央社会工作部は、社会全体とりわけ「新社会階層」を監視するつもりらしい。つまり企業経営者などの資本家や、技術職や専門職に就く人々だ。彼らは習の最大のライバルである、江沢民(チアン・ツォーミン)と胡錦濤(フー・チンタオ)に親和的な傾向がある。
習は少なくとも11の重要な領導小組や委員会のトップに就いており、それ以外の分野についても目を光らせている。だが、そんなに幅広い領域を管理できるのか。なぜ、そんなに国務院から権限を奪いたいのか。昨秋の第20回中国共産党大会で、腹心の李強(リー・チアン)を党序列第2位に引き上げ、ライバルを一掃したのではなかったのか(李は今回の全人代で、予想どおり首相に選ばれた)。
習はマルクス・レーニン主義者だから、全てを掌握したいのだという説もあるが、そのような安易な説明はあまり役に立たない。
党と国務院は歴史的に対立関係にあった。文化大革命の時代、その対立は直ちに命に関わった。中国の権力の中枢である中南海(紫禁城に隣接する地区)は、南側に党中央、北側に国務院が配置されており、「南北戦争」と呼ばれることもある。
歴代皇帝も首相に不信感
党の最高指導者と行政のトップである首相の緊張関係は、歴代皇帝と丞相(じょうしょう、現代でいう首相)との関係と似ている。
王朝時代の中国で、皇帝を補佐する丞相の役割が整備されたのは秦の時代のこと。だが、その後数世紀にわたり、権力を自らの手に集中させる皇帝が続いたため、丞相の地位は低下した。
これは歴代皇帝が、丞相に自らの地位を脅かされることを心配したためである、という点で、歴史家の意見はおおむね一致している。どの王朝も戦争の結果誕生していたから、皇帝の近くにいて、その弱みを知る人物が警戒されたのは無理もない。
その極端な例が、明の太祖・洪武帝だろう。丞相の1人の謀反計画が発覚したのを機に、洪武帝は丞相と中書省を廃止。以後2世紀半にわたり、明には丞相がいなかった。
丞相の廃止により、皇帝は官僚の人事や財政、軍事などの実務を担当する6つの部門を直接指揮することになった。それでも洪武帝は壮年で能力も高かったから、煩雑な日常業務をこなすことができた。
だが、その後のほとんどの皇帝は違った。彼らはきちんとした能力のない部下(多くは宦官)に権限を委ね、その結果、腐敗が蔓延し、容赦ない権力闘争が起こった。
実際、明の統治は歴代王朝で最悪だったと言われる。17世紀の偉大なる儒学者・黃宗羲は、「明時代に良い統治が欠けていたのは、洪武帝が丞相を廃止したせいだ」と語っている。