サッカー強豪国になったオーストラリア、牽引するのは難民とその2世たち
The Game Changers
オーストラリア代表のキアヌ・バッカスも南スーダン難民出身 Bernadett Szabo-REUTERS
<「白豪主義」が撤廃されて50年あまりだが、今も難民に寛容とは言えない豪州。特にアフリカ系難民への風当たりが強い中、代表チームに元難民が4人もいるという皮肉>
サッカーワールドカップ(W杯)カタール大会で、アジア勢で真っ先に16強入りを決めたオーストラリア。
かつて「白豪主義」を公然と掲げ、移民や難民の受け入れを大幅に制限してきたオーストラリアだが、カタール大会代表チームには元難民が4人いる。実際、歴代の代表チームの顔触れは、この国の移民政策の変遷を物語っている。
1960~70年代のオーストラリア代表チームは、ヨーロッパからの移民1世の選手が大多数を占めた。74年の西ドイツ大会に出場した代表チームは、イングランド、スコットランド、ドイツ、そしてユーゴスラビアからの移民が中心で、オーストラリア生まれの選手は少数派だった。
初めてW杯の決勝トーナメントに進んだ2006年の「黄金世代」で外国生まれの選手はニュージーランド出身のアーチー・トンプソンだけになったが、文化的には多様性が高かった。
今回の代表チームも豊かな多様性を持つ。ミロシュ・デゲネクは、1994年にクロアチアに生まれたが、ユーゴスラビア紛争の混乱を逃れて、6歳のときオーストラリアに難民として受け入れられた。
アフリカ生まれの選手も4人いて、うち3人が元難民だ。
アワー・マビルは、スーダン内戦を逃れてケニアの難民キャンプで暮らしていた両親の間に生まれた。家族と共にオーストラリアに受け入れられたのは10歳のときだ。
今年6月にオーストラリア代表チームがカタール大会の出場権を得たとき、マビルはオーストラリアが自分と家族に「一生もののチャンス」を与えてくれたと語っている。
トーマス・デンも、やはりケニアでスーダン難民の両親の間に生まれ、03年にオーストラリアに受け入れられた。
フォワードのガラン・クオルは、04年にエジプトで南スーダン人の両親の元に生まれ、6歳のときオーストラリアにやって来た。今回のカタール大会初戦、オーストラリアはフランスに惨敗したが、クオルは終了間際に投入され、オーストラリア史上最年少のW杯出場選手となった。
「白いオーストラリア」
移民や難民にとってサッカーは常に身近な存在であり、その子供や孫たちも、オーストラリアで伝統的に人気の高いラグビーやクリケットではなく、サッカーをやることが多い。このためサッカーの代表チームのほうが、ラグビーやクリケットのチームよりも、現在のオーストラリアの多様性を反映しているとたたえられることも少なくない。