日本政治の短絡化を進めた「闘う政治家」安倍晋三
THE LEGACY OF ABE
武闘派スタイルが裏目に
安倍政権の代名詞であるアベノミクスが掲げた第1の矢、すなわち金融政策については成果を上げた。それまでの日銀の消極的な金融政策からはおよそ考えられないような大胆な金融緩和政策が実現した。
官僚組織の論理に従った抵抗もあったことは想像に難くないが、政治家の決断ひとつで変わったのだ。
結果、民主党政権下で1ドル=70円台まで進んだ円高は是正され、日経平均株価は上昇トレンドに転じる。有効求人倍率も同様のトレンドを描き、2013年後半には求人の数が職を求める人の数を上回るようになった。
機動的な財政政策が発動されなかったこと、2度の消費税増税によって、その成果を国民が実感できないものになったことは否めないが、特に若年層にはプラスに働いたのは厳然たる事実だ。
多くの政治学者が安倍をはじめ、政権関係者にインタビューを重ねて編まれた『検証 安倍政権 保守とリアリズムの政治』(文春新書)によれば、安倍もまた自民党の組織票が弱っていることを自覚していた。そこで、新しい票田として意識的に取りに行ったのが若年層だったという。
自民党の組織票は年々弱っている。彼の死後、注目を集めた宗教票だけでなく、地域組織や地元後援会が党全体で弱ったこと。これが危機だったのだ。
自民党は連立政権を組み、組織票の弱体化分を補完した。そこに加えて安倍政権がターゲットにしたのが若年層だったとみることができる。アベノミクスによる雇用の改善は、新たな支持基盤の掘り起こしにもつながった。
アベノミクスは欧州ならリベラル政党が取るようなスタンダードな金融政策である。だが、日本のリベラル野党は安倍政権が採用したというだけで否定的な論調を強め、ついぞ若年層の政権支持を理解しなかった。
「対立」に信頼関係はない
外交安全保障でも大きな対立が起きた。国会前デモが大きな話題になった2015年の安保法制制定時に、国民世論は大きく二分された。
国会前に「安倍はやめろ」コールが響き渡り、安倍政権の支持率は一時的に下がったが、いざ成立してしまうと逆風にはならなかった。
逆に世論を味方につけようとしたはずの野党のほうが議席を伸ばすことができなかった。一度は下がった安倍政権の支持率も、回復に転じた。
死後、CNNなどアメリカのメディアが「アジア太平洋地域の多くの人々にとって、安倍晋三元首相は先見の明のある人物だった」と、注目したのが安倍政権で打ち出した「自由で開かれたインド太平洋」構想だ。
「経済重視と軽武装で、安全保障はアメリカに委ねる」という吉田茂が打ち出した外交方針からの転換は、国際的な評価にはつながった。