日本の「余裕」から生まれる放任のありがたさ(小原ブラス)
SOCIAL LEEWAY
関西育ちの外国人タレント/コラムニストであり、「外国人の子供たちの就学を支援する会」理事長も務める小原ブラス氏 Courtesy Almost Japanese Inc.
<マイノリティーの暮らしやすさには、経済だけでなく考え方にもゆとりが必要――ロシア生まれ・関西育ち、ゲイをカミングアウトしている小原氏は言う>
暮らしやすさについてあえて考えなくていい程度には、日本は暮らしやすいと思う。
ソ連崩壊後のロシアに生まれて5歳から兵庫県姫路市で育った僕の経験からすると、基本的に性や国籍、性的指向などの多様性が受け入れられる国はある程度の経済的余裕がないと成立しない。マジョリティーが余裕のない状況では少数派の権利にも目を向けられないから。
例えば、日本では電車に痴漢防止のカメラが付いていたり、女性専用車両があったりする。視覚障害者のための点字ブロックも多い。でも時々帰郷するロシアでは見たことがない。
弱い立場の声も無視せず社会として取り組まんとあかんな、という姿勢は意外と世界では当たり前じゃない。これも日本が寛容、というか「余裕」のある国だからだと思う。
ロシアには電車の優先席もない。でも実は、高齢者などに譲らないといけないルールは日本よりも厳しい。
これは良い面に見えるかもしれないけど、結構周りが注意する社会ということでもある。ロシアで男がスカートをはいて街を歩けば「なんで?」とめちゃくちゃ声を掛けられる。
日本では例えばロリータファッションとか「普通」じゃない格好をする人がいても、「なんかおるわ」と思いつつ面と向かっては言わない。それがマイノリティーにとって結果的に行動しやすい社会になっている。
多少の無理解はあるし、同性婚など社会の仕組みとして変えていかなければいけないことはまだ多い。でもLGBTQ(性的少数者)だからといって石を投げられないし、僕もゲイとして差別を受けたためしはない。
日本でも都会と田舎は違う。自分も東京に来るまでゲイをカミングアウトしなかったし。ただそれは例えば姫路というより、学校の問題かな。厳しいルールがあるし、子供は人と違うとからかう同調圧力もある。
都会に行くと、多様なマイノリティーが集う「逃げ場」がそれぞれあって孤立しないのがええんやろな。似たような人がいるだけで安心できる。