最新記事

日本社会

『動物のお医者さん』でも触れられなかった知らざれる獣医学生の団結と悲鳴

2022年3月31日(木)16時05分
茜 灯里(作家・科学ジャーナリスト)

なかでも、ここ10年間で圧倒的支持を集めている対策本が「北大まとめ」だ。

獣医師国家試験は「三理」と呼ばれる生理学・病理学・薬理学から勉強を始めるのがよいとされる。だが、標準的な教科書では生理学が740ページ、病理学が総論と各論で830ページ、薬理学が290ページもある。計1860ページの教科書から試験頻出分野を抜き出し、わかりやすいように図表や挿絵などを入れて約5分の1のページ数に凝縮しているのが北大まとめだ。しかも、全教科をまとめた3分冊を3000円程度の儲けなしの値段で頒布している。「北大まとめさえあれば合格する」と、ほぼそれだけしか勉強をしない受験生も多い。

しかし、北大の学生有志は3月12日、「来年度から学外者は北大まとめを購買不可にする」と発表した。今年度の国試終了後、北大まとめがフリマアプリのメルカリで2~5万円で複数販売されたことを重く見たからだ。学生有志が作る対策本は、一定時期しか発注できず、しかも獣医6年生と一部の既卒生のみが購入できる。近年は早めに国試の勉強を始めたい獣医学生や、就活対策に使いたい獣医学生以外の者にも「学生の作る獣医国試対策本は、必要事項がコンパクトにまとまっている」と評判が伝わっており、フリマサイトでも人気商品となっている。

ざわめく新6年生

ここで問題となっているのは、販売価格の高さもさることながら、著作権問題だ。

獣医国試対策本は「身内の獣医学生が豪華版の試験勉強プリントを作成して、共有している」といった体(てい)だからこそ、教科書の図表や写真を転載する著作権問題をグレーのままで、著作権者や出版社にお目溢しをもらっている。図表の著作権者はたいてい獣医学の教員たちで、出版社にとっても学生は今後も獣医学の専門書を買ってくれる顧客予備軍だからだ。データの電子化や一般人が買えるメルカリで転売するなど、もってのほかの行為と言える。今年度版の北大まとめは、これ以上転売されないように回収するという。

「なぜ転売した先輩のせいで、自分たちの国試勉強が大変になるのだ」「北大まとめがないと合格できない」と、新6年生は早くもざわめいている。今後の国試対策は、各大学内だけで留めて門外不出にすべきなのか、それとも全国の獣医学生でサーバを借りてパスワードでアクセスできるような道を探るのか。

学生による国試対策本は、手作りのまとめプリントの延長だったからこそ、親告罪である著作権侵害のグレーゾーンとして暗黙の了解となっていた。電子化で利用料などが発生すると、トラブルのもとになりかねない。国試対策委員は、一丸となって国試合格を目指し、全国の獣医大学の連携を強固にする独特の獣医学生文化だ。時代に合うように見直しや対策をしつつ、ぜひ継承してほしい。

weboriginak20210521baeki-profile2.jpg[筆者]
茜 灯里(作家・科学ジャーナリスト)
東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専攻卒業。東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。博士(理学)、獣医師。朝日新聞記者、国際馬術連盟登録獣医師などを経て、現在、立命館大学教員。サイエンス・ライティング講座などを受け持つ。文部科学省COI構造化チーム若手・共創支援グループリーダー。第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。デビュー作『馬疫』(光文社)を2021年2月に上梓。


ニューズウィーク日本版 トランプvsイラン
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2025年7月8日号(7月1日発売)は「トランプvsイラン」特集。「平和主義者」の大統領がなぜ? イラン核施設への攻撃で中東と世界はこう変わる

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ビジネス

ECBの次回利下げ、9月より後になる公算=リトアニ

ワールド

トランプ氏、日本に貿易巡る書簡送付へ 「コメ不足な

ワールド

米政権がロス市提訴、ICE業務執行への協力制限策に

ビジネス

米国株式市場=S&P・ナスダック最高値更新、貿易交
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:トランプvsイラン
特集:トランプvsイラン
2025年7月 8日号(7/ 1発売)

「平和主義者」のはずの大統領がなぜ? 核施設への電撃攻撃で中東と世界はこう変わる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた発見の瞬間とは
  • 2
    普通に頼んだのに...マクドナルドから渡された「とんでもないモノ」に仰天
  • 3
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。2位は「身を乗り出す」。では、1位は?
  • 4
    「パイロットとCAが...」暴露動画が示した「機内での…
  • 5
    砂浜で見かけても、絶対に触らないで! 覚えておくべ…
  • 6
    ワニに襲われ女性が死亡...カヌー転覆後に水中へ引き…
  • 7
    突然ワニに襲われ、水中へ...男性が突いた「ワニの急…
  • 8
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 9
    飛行機のトイレに入った女性に、乗客みんなが「一斉…
  • 10
    顧客の経営課題に寄り添う──「経営のプロ」の視点を…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で大爆発「沈みゆく姿」を捉えた映像が話題に
  • 3
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門家が語る戦略爆撃機の「内側」と「実力」
  • 4
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 5
    定年後に「やらなくていいこと」5選──お金・人間関係…
  • 6
    夜道を「ニワトリが歩いている?」近付いて撮影して…
  • 7
    突然ワニに襲われ、水中へ...男性が突いた「ワニの急…
  • 8
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた…
  • 9
    サブリナ・カーペンター、扇情的な衣装で「男性に奉…
  • 10
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 3
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    妊娠8カ月の女性を襲ったワニ...妊婦が消えた川辺の…
  • 6
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 7
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事…
  • 8
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 9
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 10
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中