最新記事

日本史

勝海舟があっさり江戸城を明け渡した本当の理由 「無血開城」は日常行事だった

2021年11月19日(金)16時45分
門井慶喜(かどい・よしのぶ) *PRESIDENT Onlineからの転載

旗本が江戸城の明け渡しに抵抗しなかったワケ

やっぱり旗本どもは、300年の泰平ですっかり腰ぬけになってしまったのだ。尚武の心を忘れたのだ......という批判はかならずしも誤りではないけれども、私には、それも何となく後知恵という感じがする。

想像力が足りない。もうちょっと彼らの身になって考えるなら、もしかすると、彼らはそもそも江戸開城という事件自体をそう大したものとは思わなかったのかもしれない。

おどろくに値しない、とまでは言えないにしろ、

──あっても、おかしくない。

そんなふうに見ていた。

これを考えるとき参考になるのは、当時の用語である。当時の人々はもちろんイギリス名誉革命を知らなかったし、「無血開城」という語も知らなかった。「無血開城」は後代の歴史家が名づけた一種の概念語である。私がこれまで開城と呼んできた事件は、一般的には、お城の「明け渡し」と呼ばれたはずだ。

実際、西郷隆盛と勝海舟も、例の2日間にわたる交渉の席ではこのことばを使っている。そうしてこの「明け渡し」の語は、幕末にとつぜんあらわれたのではない。どころか徳川期を通じて一種の流行語でありつづけた。その実例は全国に、つねに存在していたからである。

徳川時代は「おとりつぶし」「国替え」が日常茶飯事

徳川期を通じて、幕府権力はおおむね絶大だった。

全国の大名から所領を没収することも、あるいは彼らを別の土地へ移動させることも容易だった。前者は改易、後者は転封という。

もしくは前者は「おとりつぶし」、後者は「国替え」とも。或る統計によれば改易はぜんぶで200件以上、転封は300件以上あったというからたいへんな数だ。なかば日常茶飯事である。そうしてこれらの実行には、当然いちいち城の明け渡しがともなうわけで、ほとんどの場合、じつに平和裡におこなわれた。

早い話が、赤穂浪士だ。これは幕末から数えると160年ほど前の話になるけれども、播磨国赤穂藩主・浅野長矩がとつぜん江戸城内で吉良義央に斬りかかり、軽傷を負わせたため、幕府はただちに、

──浅野長矩には切腹を命ず。その所領は没収する。

典型的な改易である。家臣たちは全員解雇。浪人ぐらしの始まりである。のちにその家臣たちが、というより旧家臣たちが主君の仇とばかり吉良邸に乱入して義央その人を殺害したことは、いうまでもなく後年、いわゆる忠臣蔵ものの芝居や小説となって一種の神話と化したけれど、考えてみれば、あの旧家臣たちは、それほど血の気が多かったにもかかわらず赤穂城の明け渡しのときは何らの抵抗もしなかった。

指をくわえて眺めていた、かどうかは知らないけれど、とにかく後任者をあっさり城に入れた。自分はあっさり出て行った。当時のことばでは「引き退く」という。これはほんの一例で、ほかの改易200件、転封300件の場合にもほとんど混乱はなかったようである。

接収はつつがなくおこなわれたのだ。もともと改易はともかく転封のほうは浅野長矩のごとき不祥事が原因とはかぎらず、単なる幕閣内の人事異動の反映にすぎないことも多かったから、その場合はなおさらいっそう抵抗の理由がなかったにちがいない。徳川時代とは無血開城の連続だった。ほとんど「引っ越し」と同義ではないか。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、FDA長官に外科医マカリー氏指名 過剰

ワールド

トランプ氏、安保副補佐官に元北朝鮮担当ウォン氏を起

ワールド

トランプ氏、ウクライナ戦争終結へ特使検討、グレネル

ビジネス

米財務長官にベッセント氏、不透明感払拭で国債回復に
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:超解説 トランプ2.0
特集:超解説 トランプ2.0
2024年11月26日号(11/19発売)

電光石火の閣僚人事で世界に先制パンチ。第2次トランプ政権で次に起きること

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 2
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋トレに変える7つのヒント
  • 3
    「このまま全員死ぬんだ...」巨大な部品が外されたまま飛行機が離陸体勢に...窓から女性が撮影した映像にネット震撼
  • 4
    北朝鮮は、ロシアに派遣した兵士の「生還を望んでい…
  • 5
    ロシア西部「弾薬庫」への攻撃で起きたのは、戦争が…
  • 6
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対す…
  • 7
    「何も見えない」...大雨の日に飛行機を着陸させる「…
  • 8
    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…
  • 9
    ウクライナ軍、ロシア領内の兵器庫攻撃に「ATACMSを…
  • 10
    クルスク州のロシア軍司令部をウクライナがミサイル…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 3
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査を受けたら...衝撃的な結果に「謎が解けた」
  • 4
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 5
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋…
  • 6
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対す…
  • 7
    北朝鮮は、ロシアに派遣した兵士の「生還を望んでい…
  • 8
    Netflix「打ち切り病」の闇...効率が命、ファンの熱…
  • 9
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 10
    メーガン妃が「輝きを失った瞬間」が話題に...その時…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 4
    外来種の巨大ビルマニシキヘビが、シカを捕食...大き…
  • 5
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 6
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 7
    北朝鮮兵が味方のロシア兵に発砲して2人死亡!? ウク…
  • 8
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 9
    足跡が見つかることさえ珍しい...「超希少」だが「大…
  • 10
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中