総選挙で小さく勝ち大きく負けた野党、狙って得た「成果」は何もなかった
WINNING SMALL, LOSING BIG
開票結果を待ちながらメディアに対応する山本太郎 SOICHIRO KORIYAMA FOR NEWSWEEK JAPAN
<10月31日の衆院選直前、東京8区で起きた「れいわ新選組」山本太郎代表の出馬宣言騒動についてキーパーソンが語った。そこから見えてきたのは、この地で勝利した「野党共闘」の「敗因」だった>
※この記事は11月9日発売号のニューズウィーク日本版に掲載された記事の後半部分です。記事前半:【総選挙ルポ】野党敗北のカギは、石原伸晃を破った東京8区にこそあった
ツイードのジャケットにデニム、赤いナイキのスニーカーを履いた白髪の男はコーヒーを飲みつつ「齋藤まさし、今の肩書は一革命家」と名乗った──。
かつて「市民選挙の神様」と呼ばれ、当選が難しいとされた候補を数多く当選させてきた選挙プランナーである。その1人、菅直人元首相の初当選から民主党の政権交代選挙までを伴走した。現在、15年の静岡市長選に関する公職選挙法違反で逮捕、有罪となり公民権を停止されている。一部の週刊誌では山本太郎のブレーンと書かれ、誌面をにぎわせた。
彼は山本のことを「太郎」と呼び、今回の衆院選についても水面下でアドバイスを送っていたことをあっさりと認めたが、ブレーンという位置付けは否定した。その点は一貫している。
「(昨年7月の)東京都知事選が終わってからも4〜5回くらいかな。選挙について会って話したよ。もちろん今回の衆院選の話題もあった。でも俺はブレーンでもなんでもなくて、こっちからアドバイスをすることもあるし、向こうから求められることもあるというだけ。最後は太郎が自分で決めるんだ」
今回の衆院選についてどんなアドバイスをしたのかと斎藤に聞くと、あくまで「自分の見解だけど、いいかい」と断った上で、とうとうとプランを語ってくれた。彼も東京8区の騒動をよく知っていた。
「太郎は10月1日には発表したがっていた。でも、俺はやめておけと言った。立憲側が本当に調整できているか疑問があったからな」
「東京8区から出るのは最悪の一手」
興味深い事実は、斎藤が山本の8区からの出馬そのものにずっと疑問を投げ掛けていたことだった。
「俺が大切にしていることは2つしかない。1つは同じ選挙は2度ない。2つ目は100万票も1票の積み重ね。票を掘り起こすためのベストな方法はどんな選挙でも1つしかない。それを早く見つけないと勝てない。立憲も太郎をうまく使わないといけないんだ。その意味では太郎が東京8区から出るっていうのは最悪の一手だったな」
この選挙は「れいわ」にとっても試金石になるものだった。19年の参院選で獲得した228万票で2議席という結果に加え、熱の籠もった演説は政界に衝撃を与えた。しかし、山本の勢いは明らかに落ちていた。本人の議席がないことに加え、東京都知事選の電撃出馬も起爆剤にならず、結果も残せなかった。衆院選の最優先課題は山本の国政復帰、そして比例で228万票以上を獲得し、議席の上積みを狙うことだ。
斎藤は弱小野党が強者に勝つためには、まずもって有権者を驚かせることが必要だと考えている。有権者は一度起きたことをよく覚えている。過去に山本は一度8区で出馬して、敗れている。その時は野党が分裂していたが、仮にまとまって勝ったとしても有権者はさほど驚かない。