現在の論壇はイデオロギーから脱却しすぎて著者の顔が見えなくなっている
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<アカデミズムとジャーナリズムの架け橋を担う論壇誌『アステイオン』94号の特集「再び『今、何が問題か』」から見える、以前の論壇との違い、これからのメディアに期待することとは? 「アステイオン」ウェブサイトより大阪大学名誉教授・猪木武徳氏による「押しの強い書き手の登場を」を全文転載する>
いわゆる「論壇誌」(論壇の有無は問わないとして)の位置や影響力は過去半世紀で大きく変わった。端的に言えば、読者数が減ったということだ。
1964年4月に大学に入学し、教養部の新しいクラスの自己紹介の折、ある学生が「僕は『朝日ジャーナル』を創刊号から全て持っている」と自慢げに話したのを憶えている。いまなら「So what?」と野次られて笑い声が起こるかも知れない。当時はそのような雰囲気は全くなかった。
『中央公論』『世界』『展望』はもちろん、創刊後4、5年しかたっていなかった当時の『朝日ジャーナル』には、今でも読みたくなるような書き手が登場していた。「60年安保」以後であったが、ベトナム反戦運動や文化大革命はまだ始まっていなかった。
論壇の左翼色は明らかであったが、読んで面白い文章も少なくなかった。保守派知識人では福田恆存などが、歯切れのよいレトリックと論理で、密度の高い論考を書いていた。要するに、「右も左も、書き手はよく勉強をしており、読み手も学ぶところが多かった」ということなのだろう。
論壇誌のライバルとなるような活字媒体は少なく、学生が読む物は、新潮文庫、岩波文庫、角川文庫などの文学作品が多かったように思う。他に遊びと言えば、マージャン、女子大生との合ハイ(合同ハイキング)、あとは体育会系のクラブ活動だろうか。いわゆる軟派系のスポーツ「同好会」というのは記憶にない。
『朝日ジャーナル』とほぼ同時期に創刊された『少年サンデー』『少年マガジン』も高校生、大学生の心をとらえていたが、論壇誌のライバルとしての漫画が、知的好奇心のある若者の強い関心を獲得したのは、白土三平の「カムイ伝」以降であろう。