開会式で話題のピクトグラム、64年の東京大会で初採用 漢字文化だから生まれた必然性
誰にでもわかりやすいピクトグラムが五輪として初めて本格採用された理由には、世界でも数少ない漢字文化を持つ国だったという事情が大きく影響している。建築とデザインを専門とする米メトロポリス誌は、独自の言語システムを持つ日本だからこそ、オリンピックの開催国となるにあたって新たなコミュニケーション手段へのニーズが強かった、と分析する。
同誌は「日本語は日本以外では広く使われていないため、オリンピック中のウェイファインディング・システム(標識などによる誘導システム)を、アスリート、ジャーナリスト、関係者、旅行客にとって判読可能とするため、別のコミュニケーション手段が求められたのだ」と述べ、「ピクトグラムの初の採用は、真のブレークスルーだった」と評価している。
絵で説明する試みはさらに昔から
オリンピック以外での使用も含めた広義の「絵文字」に目を向けると、その発明はさらに時代をさかのぼる。1920年ごろ、オーストリアの哲学者・社会経済学者であるオットー・ノイラートが、アイソタイプと呼ばれる図案をすでに考案している。これにより、婚姻者数の変化や人口あたりの畜産の数など、社会的な動向を一般の人々にわかりやすく伝えることが可能になった。統計情報を図解するというコンセプトは、今でいうインフォグラフィックにも通じるものがある。
また、歴代オリンピック大会においても、言語の壁をイラストで解決しようという発想は古くから見られる。1912年のストックホルム五輪ですでに絵による説明が試みられており、1948年のロンドン大会では各競技を表す図案が本格的に採用されている。ただし、これらは人物や競技の器具などをそのまま描いた、イラストに近い様式だ。シンプルで統一的な図案にまとめ、より視認性の高いピクトグラムのスタイルが登場したのが、64年の東京五輪からということになる。
その後、デザインのバトンは1972年のミュンヘン五輪まで引き継がれる。ミュンヘンではすでに高い完成度にあった東京五輪でのピクトグラムをベースに、45度の線に沿った直線的なデザインに昇華させた。ピクトグラムを手掛けたのは、20世紀ドイツを代表するデザイナーのオトル・アイヒャー氏だった。スミソニアン・デザイン博物館の学芸員であるエレン・ルプトン氏は、スミソニアン誌に対し、アイヒャー氏がアルファベットの形状を理想としていたと語る。その開発過程は、競技者のシルエットを使って新たなフォントを製作するかのような作業だったという。
2021年の開会式で話題をさらったピクトグラムには、1964年の東京五輪を含めた興味深い歴史があったようだ。