2012年震災後の危機感と2021年コロナ禍の危機感、この間に何が変わったか
専門知と社会
■田所 一方で、ジャーナリズムであれ、アカデミズムであれ、何らかの形で財政的な支援がなければ何もできません。出版業界も大学などの教育・研究機関も、今やビジネスとして成立しているのか、このまま持続できるのかを考えなくてはいけない。
そういったときに、財団は1つのオルタナティブになるのではないかと思います。『アステイオン』が論考のクオリティーを維持できるのは、サントリー文化財団という組織があるからです。とりわけコロナとの関連で専門知の在り方が問われている中で、何かお考えはありますか。
■苅部 片山修さんの最新刊『山崎正和の遺言』(東洋経済新報社、2021年)では、サントリー文化財団の創設のさい、名前に「文化」を入れることに山崎さんがこだわったことが指摘されていますね。
専門家が読むことしか想定しない論文ではなく、社会の広い範囲にむけて学術の専門家が意見を述べ、世の議論を刺戟(しげき)していくこと。『アステイオン』が創刊以来担ってきた役割も、そういうものでしょう。
池内さんの「歴史としての中東問題」は、十年前は冷戦時代の思考枠組のなごりで、アラブの味方をしていれば知識人の顔ができたけれど、今やそうではなくなったとも説いていますね。
おもしろい指摘ですが、たとえば憲法論の世界では同じ変化は生じていない。憲法第九条を国民道徳のように崇拝し、そこに絶対平和主義を読みこんで護持しようとする姿勢が、冷戦期以来、常識として広く定着しています。そうした戦後の常識に対して挑戦し、社会と政治を新たな角度から見直すことを通じて、展望を切り開く。そういう試みを、『アステイオン』はこれまでやってきたのだと思います。
■田所 苅部さんが仰たように、今後我々は、常識化しているものをもう一度問わなくてはならないと思います。先ほど言及された憲法9条もそうですが、恐らく戦後の日本人が全く疑ってこなかった価値は平和と繁栄だと思います。
現在、両方とも満たされたわけですが、「これでいいのか」と言われるとそうとは言えない。平和と繁栄を超えるような価値や、それを犠牲にしても達成しないといけない何かがあるということをもう一度問わないといけないと考えました。
それではまずは小林さんから、今号で一番印象に残った論考はどれだったでしょうか。
■小林 私はやはり池内先生のご論考「歴史としての中東問題」が一番面白かったです。私が池内先生と共通しているのは、どちらも氷河期世代ということです。あまり自分たちだけが大変だったという言い方はしたくはないですが、やはり今の40代は労働市場に参入すること自体が本当に難しくて、人手不足と言われる今でも無視され続けていますよね。
■田所 なるほど、世代論ですね。では、武田さんのお勧めはなんでしょう。
■武田 先ほど、田所先生が疑われていない概念として「平和と繁栄」と仰いましたが、平和と繁栄が一番象徴化されているのが五輪ですよね。
今号では「品位ある社会の構築に向けて」で、中西寛さんが唯一、五輪に言及されていました。過去の成功例を引きずることによって、新しい生き方や考え方を導けないような、ある種の呪縛が五輪にはあると思います。
実は1964年の五輪にも色々問題がありました。開高健さんの『ずばり東京』(朝日新聞社、1964年)を読むとわかるように、東京を改造するために地方から出てきて行方不明になったり、亡くなったりした方々の犠牲の上に五輪の成功があります。
同じように、我々が感じている平和と繁栄というのを、もうすこし長い時間スケールの中で、今の日本の問題として考える論考として、よかったと思います。