池内恵、細谷雄一、待鳥聡史が語り合った「山崎正和論」〈1周忌〉
■待鳥 私が最初にお目にかかったのは、サントリー文化財団の研究会「文明論としてのアメリカ研究会」(2006年3月~2008年3月)です。最初の印象は、「わっ、本物がいる!」です。
池内さんと同じで「文学史の教科書に出ている人」なので、まさかそこにいるとは思わないわけですよ。ですから、お目にかかって、まさに「動いてる!」みたいな感じでした。
しかし、実際の山崎先生はものすごく気さくだし、まず威張らない。そして好奇心がとても旺盛。北岡伸一先生や田所昌幸先生など信頼を寄せている人の前では、たとえば日本外交などについて、ものすごく思い切ったことをお尋ねになり、大胆なこともおっしゃる。
でも、それはあえて議論を活性化させることを考えておられたのだと思います。ちょっとご病気という話はあったかもしれませんが、いつもお元気でした。ですから、亡くなられるということ自体が私の中ではまだ十分に受け入れられていないところがあります。
私の最新刊『政治改革再考』(新潮社、2020年)の中でも触れましたが、山崎先生、そして高坂正堯先生は戦後の日本を基本的に肯定的に評価しながら、戦前に回帰することを拒絶し、しかし左派的なやり方で日本をよくしようとすることに対しては懐疑的であるという点で、「戦後日本の非常に真ん中の考え方」を持っておられたと思います。
でも、そういう人たちのグループを適切に表現するラベルがないと感じていました。
「右派」という言葉は強く、すごくネガティブなイメージを持っている人も多いので躊躇があったのですが、あえて「近代主義右派」という言葉を使いました。
いわゆる近代主義、つまり日本の社会におけるものの考え方や人間関係はもっと合理化できるし、もっとさばさばしてていいんだ、都会的でいいということです。
そういう意味では、「都会の人」というのも山崎先生に対して持った強い印象のひとつです。ベタベタとした付き合いはしない。しかし、それは温かさがないとか、無関心ということとは違う。
山崎先生が考えておられて、これまでなされてきたことについては、『政治改革再考』を書く中で何度か考えたことですね。