五輪の開幕前に悲観的ムードが漂うのは「いつものこと」
聖火リレーの最終ランナーとして聖火台に向かうテニスの大坂なおみ BAI YUーCHINASPORTSーVCG/GETTY IMAGES
<アテネ、北京、ロンドン、ソチ、リオデジャネイロ......。東京五輪が過去の大会から学べることは何か>
ついに開幕した東京五輪だが、開会式直前のムードは最悪に近かった。
まず第1に、2020年から2021年に延期される原因となった新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)。日本のまずい対応とデルタ株の世界的な感染拡大のせいで、大会は無観客開催に。検査で陽性反応が出た代表選手の参加辞退が相次ぎ、日本国内では開催反対の世論が多数を占めた。
差別的ルールやばかげた規定のせいで参加できない選手も出た。性差別、女性の体形侮辱、盗作疑惑、障がい者へのいじめ、ホロコーストのネタ化騒動など、あきれるような言動が発覚して辞任・解任された大会関係者もいた。
蒸し暑い夏の東京での屋外競技の開催に対し、安全性を懸念する声も上がった。
メディアの報道から判断すると、東京五輪は最悪の場合、公衆衛生上の大惨事を招き、最善のシナリオでも盛り上がりに欠ける退屈なイベントに終わるように思われる。
そうならない保証はないが、五輪の開幕前に悲観的ムードが漂うのは普通のことだ。
2004年のアテネ大会では、開幕6週間前にニューヨーク・タイムズ紙が「主要施設はまだ工事中」と報じ、テロ攻撃が懸念された。
2008年の北京大会では、人権問題への抗議、建設作業員の死亡事故、大気汚染が大きく取り上げられた。
2012年のロンドン大会は工事の遅れ、安全上の不安、世論の反対を乗り越えて開催された。
2014年のソチ冬季五輪では、世界のメディアが汚職やLGBTへの差別を批判。未完成のホテルやゴミだらけの道、野良犬の写真が悪い意味で注目を浴びた。
2016年のリオデジャネイロ五輪は工事の遅れ、汚染水、犯罪と治安、ドーピング、人権侵害、ジカウイルスなど、問題が山積みだった。
だが、いざ競技が開始されると、悪評は瞬く間に雲散霧消した。
確かに新型コロナ級の世界的な試練に直面するのは、五輪にとって初めての経験だ。だが、選手・関係者と一般社会を隔離するバブル方式を採用した米プロバスケットボールのNBAやサッカーのヨーロッパ選手権も、当初は無謀な大失敗に見えた。どちらも完璧だったとは言えないが、エンターテインメントとして視聴者が求めるものを提供することはできた。
ここから導き出せる結論はいくつかある。
1つは、大規模で複雑な世界的イベントには、遅延やコスト超過、政治的問題が付きものということ。五輪開幕までの数カ月間は、肝心の競技がまだ実施されていないため、メディアはこうした問題や開催国の長年の悪弊を取り上げる傾向がある。だが競技が始まれば、関心はそちらに移る。