恐るべき江沢民の【1996】7号文件──ウイグル「ジェノサイド」の原型
●新疆ウイグル自治区の各レベルの中国共産党委員会、政府と関係部門は、民族の団結と法律を守るという旗を高く掲げ、どのようなことがあっても民族分裂主義者の活動を食い止めるべく方針を立てて闘わねばならない。
●肝心なのは資源の優勢を経済の優勢に変えることだ(筆者注:新疆ウイグル自治区には石油、天然ガス、レアアースなど経済発展に欠かせない資源が豊富なだけでなく、中央アジア5ヵ国とのパイプラインの結集点でもある)。
●新疆は21世紀の我が国の経済成長の重要な成長点となるだろう。
中発【1996】7号文件によりウイグル族の「民族性」を薄める
紀要に書かれているのは精神論的言葉だが、具体的にどのような方向に動いたかというと、以下のいくつかを挙げることができる。
1.新疆ウイグル自治区に漢民族のエリートを送り込み幹部に就かせること。これは中共中央組織部や人事部などから1996年10月18日に「組通字【1996】44号として通達が出ている。非常に具体的で、たとえば漢民族の幹部を自治区以外の内地のどの都市から選んで新疆ウイグル自治区のどの都市(あるいは州・地区)に派遣するかという具体案まで示されている。以下にその例を示す。
江西省→キルギス自治州
天津市と山東省→カシュガル地区
北京市と浙江省→ホータン(和田)地区
上海市と河南省→アクス地区
江蘇省→イリ・カザフ自治州
これは1954年から毛沢東の命令により王震が始めた「新疆生産建設兵団(漢民族から構成される)」の狙いと同じで、新疆ウイグル自治区を「漢民族化」してしまおうという戦略の一つである。東トルキスタン(現在の新疆ウイグル自治区)が中国人民解放軍によって占領された時の人口比率からすると、100倍以上の漢民族が増え、ウイグル族の割合は比較にならないほど減っている。その変化は「人口比」だけでなく、絶対数においても見られ、大量殺戮や純粋な「民族の血」を保つウイグル族を減少させる方針で動いてきた。
2.ウイグルの若者を内地(自治区以外の漢民族が多い地)に派遣して勉学させ、漢民族の文化に慣らさせ、中国共産党を礼賛する「愛国分子」に育て上げること。これは教民[2000]3号あるいは教民「2000」7号などとして、1999年あるいは2000年から実施されている。この年齢層の若者たちも学業を終えた後に自治区以外で漢民族などウイグル族以外の人と結婚する可能性がある。その後にウイグル自治区に戻れば、自治区内の独立志向の人たちに影響を与えることができると当局は考えていると、ウイグル人たちはみなしている。「民族浄化」の狡猾なやり方だと非難している。