ミャンマー国軍が「利益に反する」クーデターを起こした本当の理由
Why the Army Seized Power
「軍事政権」ながら政治力や統治能力には疑問符も(2016年の軍事パレード) SOE ZEYA TUN-REUTERS
<国軍は民政移管と経済改革で大いに潤っていたのになぜ? 司令官トップの自己保身などと臆測も飛び交うが、暴挙に出た理由は、その歴史とアイデンティティーを理解すれば分かる>
今年2月1日に起きたミャンマー(ビルマ)の軍事クーデターは、ほぼ10年にわたる民主的な統治(厳密には「民主的」とは言い難いが)を唐突に終わらせた。世界を驚かせたのはコロナ禍のさなかで政変が起きたことだけではない。クーデターはどう見てもミャンマー国軍の利益に反するのに、彼らがこの壮大な暴挙に踏み切ったことだ。
2011年の民政移管後も、国軍は引き続き強大な権限を握ってきた。軍政下の2008年に制定された憲法では、国会議席の4分の1を国軍が握り、警官、消防士、刑務官などあらゆる制服組を管轄する内務省も国軍の支配下にあった。
加えて国軍上層部は傘下の企業などを通じて経済でも莫大な権益を握っていた。国軍の系列企業は民政移管とそれに伴う経済改革で大いに潤っていたのだ。
クーデターで国軍は国民の不満を買っただけではない。民政移管後にミャンマーの経済開放が進むに伴い、国軍上層部は巨大利権で甘い汁を吸っていたのだが、それも絶たれてしまった。
ミャンマーの事実上の最高指導者だったアウンサンスーチー国家顧問と文民政権の指導者たちを失脚させたことで、国軍は実質的に何を得たのか。軍事独裁を復活させたこと。ただそれだけだ。
ミャンマー国軍は極端な中央集権型の組織で、そこでは指導者の資質が組織の方針に大きな影響を及ぼす。秘密主義の組織ゆえ、国軍上層部の考えを推し量るに足る情報はほとんどなく、クーデターの動機を見定めるのは難しい。だがミャンマーの歴史と絡めて国軍の歴史をたどれば、この国の現状と今この時点で国軍が権力を奪取した理由が多少なりとも見えてくるはずだ。
ミャンマーの民主化に詳しいワシントン大学のメアリー・キャラハン准教授は2005年の著書『敵を作る』で、ミャンマーの軍政と他国の軍事政権には決定的な違いがあると論じている。ミャンマーの軍政の指導者たちは制服を着た政治家ではなく戦士だ、というのだ。「戦後のビルマ(ミャンマー)政権は戦士たち、つまりたった一度の選挙に勝つノウハウすら持たない政治の素人たちで構成されていた」と、キャラハンは述べている。
ハーグ出廷が大打撃に
ミャンマー国軍は常に純粋な軍事組織だった。そこではイデオロギーより好戦的な姿勢のほうが重視される。
国軍のアイデンティティーを支える3つの大きな特徴がある。1つはビルマ民族主義の象徴としての正統性。それはイギリスの統治と第2次大戦中の日本の占領に抗して戦ったビルマ独立軍(BIA)から引き継いだものだ。