「国民皆保険」導入を拒んだのは「アメリカニズム」だった
歴史を振り返ると、医療保険制度改革への運動が高まる時には、アメリカ例外主義を刺激する国際的な要因が存在していたことが分かる。1910年代の革新主義時代の改革運動には第一次世界大戦、1930、40年代のニューディール改革には第二次世界大戦、1950年代以降の改革には冷戦が医療保険政策をめぐる議論に影響を及ぼした。そして強大なソ連の存在がなくなった1990年代以降、まもなくテロとの戦いが始まる。このような外的要因の変化の中で、アメリカは自らの価値に改めて向き合う必要性に迫られた。そしてそれが医療保険制度改革に影響を及ぼしてきた。
個人が自由に生きる権利を最大限尊重する価値が、世界中の人々を魅了し、多くの移民をアメリカに向かわせた。しかし皮肉にも、これが公的医療保険の拡大を阻む動きを支えてきた。1970年代から経済成長に陰りが生じ始めると、民間中心の医療保険システムの矛盾が明らかになった。そして、新型コロナウイルス感染症は、アメリカ的医療保険制度の限界を改めて可視化することになった。本論では、まずはアメリカニズムの原点を見ることから始める。そして、医療保健政策史を振り返る中で、アメリカニズムがどのように政策をめぐる議論に影響を及ぼしたのかを論じる。最後に、この歴史的文脈において2020年の大統領選挙が持つ意味についても述べたい。
小さな連邦政府の設立――国家権力の否定
アメリカの伝統的価値、アメリカニズムの基礎は、建国期に形成された。13の植民地は、それぞれの経緯で設立された。例えば最初のジェイムズタウン植民地は金脈を探すことが主な目的であった一方で、プリマス植民地はピューリタンが自らの信仰の自由を求めて作ったものである。それゆえに植民地間の一体感はなかった。
イギリス本国は植民地に対して「有益なる怠慢」と呼ばれる放任政策をとっていた。しかしフレンチ・インディアン戦争を契機に、植民地に対する増税政策が始まった。イギリス本国に対する抗議行動として、ボストン・ティーパーティ事件などが起こった。その結果、植民地間の連携が強化され、独立の機運が少しずつ高まった。
パトリック・ヘンリーは「我に自由を与えよ、然らずんば死を」と、自由の追求のために独立する必要性を説いた。また、トマス・ペインは『コモン・センス』の中で、アメリカは独立を果たし、君主制や貴族制に基づいているヨーロッパとは全く異なる人民による政体を作るべきだとした。そして独立宣言では「全ての人間は平等に造られている」と唱えられた。