最新記事

インタビュー

「正しさ」から生まれた「悪」を直視する──哲学者・古賀徹と考える「理性と暴力の関係」

2020年7月30日(木)16時40分
Torus(トーラス)by ABEJA

──分泌、という表現をされるんですね。

古賀:そう、分泌です。ここで「分泌」という表現を使うのは、僕はとても言い得て妙だと思っているんです。多数派の人たちが「これが善だ」と思って追求しているまさにそこから、じんわり汗をかくように悪がにじみ出てくる。

そこに何かがにじみ出ているのに、「テンプレ倫理」が邪魔して、大半の人はそこに何も存在しないかのように振る舞う。まさに、「在るものを無いこと」にしてしまう。だって、そういう「正しさ」から生まれた「悪」を直視するなんて、正直めんどくさいじゃないですか。実際、1、2回見ないふりをしたところで、何が起きるわけじゃない。

でも、ずっと見ないふりを続けていると、たまった「悪」が、ある時ドーンと立ち上ってくるんですよ。それは巨大な壁のような衝撃で、ある特定の壊れやすい人を襲うのです。

ハンナ・アーレントのいう「悪の凡庸さ」にも通じる話です。


※ハンナ・アーレント:ドイツの政治哲学者。ナチス幹部でユダヤ人の大量虐殺を主導する立場にあったアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴し「エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告」(1963年)にまとめた。裁判でのアイヒマンの供述などから、アイヒマンはいわゆる、邪悪な人間などではなく、思考停止の状態で自分の任務を忠実に遂行した結果、ユダヤ人の大量殺戮を実行したのだと報告。世界中で議論が起きた。

Koga_5.jpg


「世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です。そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶した者なのです。そして、この現象を、私は"悪の凡庸さ"と名づけました」

「ソクラテスやプラトン以来、私たちは"思考"をこう考えます。自分自身との静かな対話だと。人間であることを拒否したアイヒマンは人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です。その結果、モラルまで判断不能となりました。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。過去に例が無いほど大規模な悪事をね。私は実際、この問題を哲学的に考えました」

「思考の風がもたらすのは知識ではありません。善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても考え抜くことで破滅に至らぬよう」(映画「ハンナ・アーレント」(字幕版)のシーンから)

古賀:だから哲学が真理に忠実であるかぎりにおいては、「そこに何か在るよね」とあえて指摘する必要がある。これが批判です。思考するというのは、「当たり前」を自ら疑う、自分が前提にしているものを根本から疑うということ。とてもめんどくさい行為だけれど、でも哲学の哲学たるゆえんはそこにあります。

生きるために、人は様々なことを構造化していく。安全な場所を作り、そこに身を置きたい。「完成している」と思われている空間、できあがったと思われている方法論に対し、それでもそれを乗り越えていく。そうしたダイナミズムを失っていくと、人間も自然も窒息していく。

組み上げられた構造で固まるのではなく、考えることでそこをまた越えていく、それはある種生物としての「本能」じゃないか、と思うんですよね。そうした本能に忠実であることが哲学なのです。


自己を解放する手段としての理性それ自体が自己を拘束する箍(たが)へと転化するとき、(中略)哲学は自ら理性としてその理性自身を省察するものとなる。理性の自己反省によって哲学はもろもろの理性的建築物から距離を保ち、それを見抜き、もう一度自由と自立を得ようとする。つまり哲学の伝統のうちには、脱呪縛を志向するおのれ自身がつねにそれ自身呪縛へと転化することの自覚、それへの不断の警戒が存していたのである。(『理性の暴力』終章より)

「電波少年」が哲学徒になるまで

Koga_6.jpg

古賀:僕は、小学生の時にアマチュア無線の免許を取って、新聞配達のアルバイトでためたお金でパソコンを買うような少年で、熊本の電波高等専門学校(当時)で電子工学を学んでいました。いずれ外洋航路で無線機とかの仕事をしたいと思っていたような僕が、なぜ哲学の道に進んだのか。それは、高専の図書館で偶然「水俣」の本と出合ったのがきっかけでした。

石牟礼道子の『苦海浄土』、ユージン・スミス、アイリーン・スミスの『写真集 水俣』。とりわけ宇井純の『公害原論』に衝撃を受けました。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

スウェーデン、バルト海の通信ケーブル破壊の疑いで捜

ワールド

トランプ減税抜きの予算決議案、米上院が未明に可決

ビジネス

ユーロ圏総合PMI、2月50.2で変わらず 需要低

ビジネス

英企業、人件費増にらみ雇用削減加速 輸出受注1年ぶ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 4
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 5
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 6
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 7
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 8
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 9
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 10
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ...犠牲者急増で、増援部隊が到着予定と発言
  • 4
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    墜落して爆発、巨大な炎と黒煙が立ち上る衝撃シーン.…
  • 9
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 10
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 8
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 9
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のア…
  • 10
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中