スウェーデンはユートピアなのか?──試練の中のスウェーデン(上)
これは、「スウェーデン=社会民主主義」という一種のドグマに囚われた言説にほかならないが、スウェーデンがオール社会民主主義ではないことくらいは贅言(ぜいげん)を要しない。むしろスウェーデン政治史を知っていれば、社会民主主義そのものが保革間での激論の対象であったことは自明のことである。それにもかかわらず、社会民主主義のイメージを先行させながら「スウェーデン」という国名を代入することで、スウェーデンそのものを恣意的な概念(もしくはバズワード)として括っているにすぎない。吉田徹は、社会民主主義はスウェーデンだけではなく、イギリスや欧州大陸にも様々な社会民主主義のヴァリエーションがあるのであり、スウェーデンという「約束の地」を設定することで「上滑り」の議論に終始してしまう自家撞着に陥っていると指摘して、スウェーデンに拘泥する井手の主張に疑問を呈している(吉田徹『「富山は日本のスウェーデン」なのか│井手=小熊論争を読み解く』SYNODOS、2019.6.24. https://synodos.jp/politics/22791 を参照)。
井手の議論に象徴されるように、良くも悪くも引き合いに出されてきたスウェーデンという固有名詞は、社会民主主義の旗手であるかのような「イデオロギー」として扱われてきたといえる。これは、さきほど紹介したような賛否両論の中でも、なぜスウェーデンに関する言説に憧憬と拒絶が見られるかといえば、「イデオロギー論争」のモデルとしてスウェーデンが長らく位置づけられてきたからにほかならない。二〇一九年に『タイムズ』誌のパーソン・オブ・ザ・イヤーに選ばれたグレータ・テューンバリ(日本ではしばしばグレタ・トゥンベリで報道されている)に対する敵愾心も、グレータがスウェーデン出身であることから「イデオロギー」的な好悪の感情によって誘発されている側面もあるのではないか。
井手は、スウェーデンの社会民主主義を語るうえでどうしても外せない人物として、社会民主主義の代名詞とされてきた「国民の家」演説を行ったパール・アルビン・ハーンソンを挙げている。しかし、この短絡的な引用は壮大な矛盾を浮かび上がらせている。というのも、「国民の家」は社会民主主義のテーゼから必然的に導き出されたものではないからである。「国民の家」概念はもともと保守勢力の理念であり、国民的な幅広い支持を得るためにハーンソンはそれを取り込んだにすぎない。スウェーデンを「イデオロギー」としてとらえることは、スウェーデンに存在する社会民主主義以外の政治思想を捨象することになり、そのことで右派や保守などの側から見るスウェーデンを見落としてしまう。
その右派や保守の観点でいえば、昨今のスウェーデン政治においては、〝極右政党〞と言われる「スウェーデン民主党」の台頭が大きな関心となって学界やメディアでも取り上げられている。では、このスウェーデン民主党の躍進はどのように捉えるべきなのだろうか。それを次に見ていくことにしよう。
二〇一八年の「敗者なき選挙」
二〇一八年九月に行われたスウェーデンの議会選挙は、「敗者なき選挙」のような様相を呈した。各党の獲得議席と前回(二〇一四年)とを比較した議席増減数をまとめたものが表1である。