比ドゥテルテ長男、マニラの空港「ニノイ・アキノ」の名称変更を提案 大統領選めぐる動きか
フィリピンの現代史と結びついた「ニノイ・アキノ国際空港」の名は変わるのか? REUTERS/Romeo Ranoco
<アジアの現代史が反映された国際空港は、21世紀の政治によって塗り替えられるのか>
フィリピンのドゥテルテ大統領の長男で国会下院副議長のパオロ・ドゥテルテ議員が、下院議会に対して首都マニラの玄関口である「ニノイ・アキノ国際空港(NAIA)」の名前を変更するべきとする法案を提出したことが明らかになった。フィリピンの主要メディアが6月25日に一斉に伝えた。
他の下院議員との連名で提出された「空港名称変更」議案によると現在の空港名を「フィリピン国際空港」と改めることを求めている。これは空港名に冠された「ニノイ・アキノ」という個人名を排除したい意向とされ、ドゥテルテ大統領の思惑のほか、2022年に予定される次期大統領選、さらにはマルコス元大統領一族との関係など、法案の提案理由を巡って様々な憶測が飛び交う事態となっている。
パオロ議員が同僚のマリンドケ、ベラスコ議員らと共同提出した「下院法案7031号」はフィリピン最大の国際空港であり、国際社会からの玄関口でもあるNAIAについて、「個人名ではなく、フィリピン国民が国に誇りをもてる名前に改正するべきだ」とし、さらにフィリピン人の母国語であるタガログ語を使用することで国民が親しみをもてるようにもするべきだとして名称変更を提案。新名称を「Paliparang Pandaigdig ng Pilipinas(フィリピン国際空港)」にするよう提案している。
「Paliparang(パリパラン=空港)」「Pandaigdig(パンダイティグ=国際)」「ng(ナン=英語のofに相当)」「Pilipinas(ピリピナス=フィリピン)」である。
「ニノイ・アキノ」はエドサ革命の象徴
「ニノイ・アキノ国際空港(NAIA)」の名称について説明するためにはフィリピンの現代史をひもとく必要がある。1970年代、強権恐怖政治を進めていたマルコス大統領(当時)は、独裁政権下で反政府組織や学生運動を封じ込めるため1972年に戒厳令を布告。さらに国民に人気がある政治家だったベニグノ・ニノイ・アキノ・ジュニア前上院議員を逮捕・投獄を経て米国に追放した。そしてニノイ・アキノ氏は1983年8月12日にマニラに戻ったが、航空機からタラップを降りた直後に暗殺された。
暗殺事件の背後にマルコス政権が関与していたことが次第に明らかになり、これを契機に民衆の反マルコス気運が徐々に盛り上がり、1986年にマルコス大統領は退陣に追い込まれ、ニノイ・アキノ氏の妻、コラソン・アキノ氏が大統領となった。
この一連の出来事をフィリピンではマニラ市内の反マルコス群衆が集まった通りの名称から「エドサ革命」あるいは「ピープルパワー革命」と呼ばれている。
ニノイ・アキノ氏は1987年から500ペソ紙幣に肖像画として登場するとともに「マニラ国際空港」も同年「ニノイ・アキノ国際空港」と改名されて現在に至っている。
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