最新記事

コロナ後の世界

「コロナ後の世界」は来るか?

2020年4月6日(月)17時25分
鈴木謙介(関西学院大学社会学部准教授)

グローバリゼーションの楽観論と悲観論

社会学周辺のグローバリゼーション研究には、大きく言って3つのトレンドがあった。ひとつは1990年代ごろに盛り上がった「グローバリゼーションは起きているのか」という論争。これは政治学者らによる「グローバリゼーションと呼ばれている現象は、既存の国際政治の枠組みにおける国家間関係の広がりに過ぎない」という主張と、先に述べた「経験の変容」が、世界の交流を質的に変化させているとする社会学者の反論から成り立っている。

もうひとつは、この「経験の変容」が、新たな世界の枠組みをつくるという規範的な主張。現在まで社会学におけるグローバリゼーションの理論的研究の中心となっているA. ギデンズやU. ベックといった人々が、こうした立場をとる。要するに、情報やコミュニケーションが行き交うことで、私たちは異なる立場の人に対して寛容になり、世界がより融和的になっていくというわけだ。彼らがそうしたことを論じたのが、まさにEUが誕生せんとする時期だったこともあり、彼らの主張は、大いなる期待と楽観をもって受け止められた。

そして最後は、まさにそうした楽観論が裏切られ続けてきた21世紀以降の世界の状況を反映した悲観的な見方だ。古くは1990年代にG. リッツァが提唱した「マクドナルド化」をはじめとして、2001年の米国同時多発テロ、2008年の金融危機から玉突き的に発生した欧州債務危機、その他、労働力や工場の世界的な連携、いわゆるグローバル・サプライチェーンの広がりによる、先進国からの途上国に対する搾取構造の強化、あるいは僕の専門である食のグローバル化に関わるところでいうと2008年の世界食糧危機など、グローバリゼーションの深化によって世界はより悪くなったとする見方だ。

2016年の米国大統領選挙(トランプ旋風)、そして英国でのEUレファレンダム(BREXIT)といった現象は世界を驚かせたが、むしろこうした社会学の流れを押さえていれば、グローバリゼーションに悲観的な側面があることは自明だった。ハラリの主張する権威主義的で孤立した世界とリベラルでオープンな世界という対立軸も、基本的にはこの線で理解できる。つまりこの対立軸は、21世紀の社会学がグローバリゼーションについて論じてきたことそのものなのである。

権力による監視は強化されるのか

では、その線にもとづいてハラリの論じる「監視の強化」と「孤立主義」をどのように考えるか。まず監視について言うならば、「全体主義的な権力による監視」がどのようなものを指すのか考える必要がある。権力による監視の古典的モデルは、まさにナチスやスターリニズム下のソ連のような全体主義国家の思想統制にある。一方でハラリが指摘するのは、スマホなどを通じた生体情報の監視だ。両者の間には、非常に大きな隔たりがある。

国家が人々の行動や思想を制約するためには、文字通りの暴力を伴う強権の発動が必須だ。スマホやネット利用などの「情報行動」が監視されたからといって、それが即座に思想統制を生むわけではない。あり得るとすれば、生体情報を提供しなければ公的サービスが受けられないようにするといった措置だろうが、それとて国家が福祉などの公的サービスを担う力をもつという前提が必要だ。

新自由主義の典型的な主張としてよく取り上げられる「社会は存在しない」というサッチャーの言葉をもじって、ボリス・ジョンソンは「社会は存在する」と述べたという。健康や生活の維持に関わることがらを自己責任に帰すのが新自由主義の考え方だが、一方で国防やセキュリティに関しては権力が肥大する傾向にあるともされていた。だが多くの先進国で高齢化が進み、健康に関することがらを自己責任に任せることが難しくなってくると、まさに国防やセキュリティのためにこそ福祉の充実が必要になるという逆説が生じる。「監視の強化された社会」とは、思想統制を伴う全体主義国家といった単純なモデルで理解できるものではない。

さらに言うならば、その「監視」を行うためのデータを提供するのは、むしろ「民間」であり、「監視される本人」であるということにも注意しなければならない。たとえばヤフーは、自社の保有するデータを用いて、 東京都と近隣県との往来自粛等の影響を分析している。NHKは携帯電話の位置情報をもとに、 週末の都心の人出が減少したことを明らかにしている。リサーチ・アンド・イノベションは、レシートを撮影して登録するとポイントがもらえるスマートフォン向けアプリで、 マスクを購入したタイミングを調査している。LINEは、厚生労働省と連携し、 新型コロナウイルスに関する調査を実施するとしている。人々の思想や行動がデータとして監視されることがあるとしても、それをデータにしたり、そのためのデバイスやアプリを利用したりするのは、ほかならぬ市民なのであり、国家がそうした手段を強制的に利用させ、そのデータを接収するというのは、おそらく中国ですら容易ではない。梶谷懐と高口康太が『幸福な監視国家・中国』で描くように、現代の監視はむしろ、パターナリズムに基づく功利主義の道を歩んでいるのである。

要するに、「全体主義的監視か市民の権限強化か」というハラリの提唱する二者択一は、適切なものではない。起きているのは「市民の権限強化を伴う、権力による監視の強化」であり、ある部分では市民が非常に賢くなるが、別の部分ではどのように監視されているのかすら把握できなくなるという事態の同時進行なのだ。

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ビジネス

アングル:全米で広がる反マスク行動 「#テスラたた

ワールド

トルコ中銀が2.5%利下げ、インフレ鈍化で 先行き

ビジネス

トランプ氏、ビットコイン戦略備蓄へ大統領令に署名

ビジネス

米ウォルマート、中国サプライヤーに値下げ要求 米関
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
2025年3月11日号(3/ 4発売)

ジャンルと時空を超えて世界を熱狂させる新時代ピアニストの「軌跡」を追う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 2
    「コメが消えた」の大間違い...「買い占め」ではない、コメ不足の本当の原因とは?
  • 3
    113年間、科学者とネコ好きを悩ませた「茶トラ猫の謎」が最新研究で明らかに
  • 4
    著名投資家ウォーレン・バフェット、関税は「戦争行…
  • 5
    一世帯5000ドルの「DOGE還付金」は金持ち優遇? 年…
  • 6
    強まる警戒感、アメリカ経済「急失速」の正しい読み…
  • 7
    イーロン・マスクの急所を突け!最大ダメージを与え…
  • 8
    定住人口ベースでは分からない、東京23区のリアルな…
  • 9
    テスラ大炎上...戻らぬオーナー「悲劇の理由」
  • 10
    34年の下積みの末、アカデミー賞にも...「ハリウッド…
  • 1
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    イーロン・マスクへの反発から、DOGEで働く匿名の天才技術者たちの身元を暴露する「Doxxing」が始まった
  • 4
    アメリカで牛肉さらに値上がりか...原因はトランプ政…
  • 5
    ニンジンが糖尿病の「予防と治療」に効果ある可能性…
  • 6
    「浅い」主張ばかり...伊藤詩織の映画『Black Box Di…
  • 7
    イーロン・マスクの急所を突け!最大ダメージを与え…
  • 8
    「コメが消えた」の大間違い...「買い占め」ではない…
  • 9
    「絶対に太る!」7つの食事習慣、 なぜダイエットに…
  • 10
    ボブ・ディランは不潔で嫌な奴、シャラメの演技は笑…
  • 1
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 2
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 7
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 8
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 9
    細胞を若返らせるカギが発見される...日本の研究チー…
  • 10
    イーロン・マスクへの反発から、DOGEで働く匿名の天…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中