最新記事

日本社会

かくも空虚な「上級国民」批判の正体

THE FAVORITISM QUESTION

2020年4月18日(土)16時30分
澤田知洋(本誌記者)

背後の金物店に突っ込み大破した「上級国民」とされる石川達紘弁護士の乗用車 Courtesy of Nobuhiro Sato

<ズルする奴らが罪を免れている──疑念と怒りが渦巻く「上級国民」現象で糾弾される「特権階級」は本当にいるのか。本誌「上級国民論」特集より>

「上級国民」──あなたは1度でもこの言葉を口にしたり、ネットに書き込んだりしたことがあるだろうか。あるいは、「上級国民」に怒りを覚えたことは。

昨年末にも、日産のカルロス・ゴーン元会長が保釈中の身でレバノンに逃亡すると、「真の上級国民は海外逃亡できる」「上級国民はいいですね」とゴーンを揶揄する声がネット上を飛び交った。

上級国民。ネットで生まれたこの言葉は、昨年ある事件を機に爆発的に拡散し、実社会でも市民権を得た。2019年の新語・流行語大賞の候補に選ばれ、同年8月に出版された橘玲の『上級国民/下級国民』(小学館新書)は発行部数13万8000部のベストセラーとなっている。

一方で、この言葉の定義は曖昧だ。単に「富裕層」もしくは「上流階級」を指すこともあれば、政治力や財力などの力を利用して罪や責任から逃れる「特権階級」を意味することもある。ゴーンの場合、逮捕・起訴されたことを考えれば(免責特権などなかった)、単なる金持ちと言えそうだが、そもそも日本国籍者ではないゴーンを「国民」と呼ぶには矛盾があり、「グローバル上級国民」という言葉も出回った。

定義が判然としない言葉が、多くの場合は猛烈な怒りを伴い、社会で広く共有される。その背景に、何があるのか。「上級国民」をたたいているのは、「恵まれない下級国民」なのか。得体の知れない言葉が独り歩きする「上級国民」現象の実態を捉えることが、本稿の試みだ。そこで見えてきたのは、「上級国民」対「下級国民」という単純な構図とは異なる日本社会の現実だった。

◇ ◇ ◇

「上級国民」は実在するのか。まずはこの言葉に火を付けた象徴的な事故に立ち戻って考えたい。

2019年4月19日、東京・池袋で3歳の女児とその母親という2人の死者を出す自動車暴走事故が発生した。運転していたのは、元通産省工業技術院長の飯塚幸三(当時87)。死傷事故の加害者である飯塚が逮捕されず、加えて報道でも「容疑者」ではなく「元院長」などの呼称が使われたため、官僚だった飯塚は「上級国民」だから不当に免責されているのだ、という言説がネットを中心に広まった。

ツイッターでは事件がトレンド入りし、「飯塚幸三」の名前が「上級国民はよ牢獄で逝け」「ひき殺し暴走上級国民」といった怒りと共に拡散。ついにこの言葉は熱を帯びたまま現実社会にも飛び出すことになる。

2019年8月3日、東京・南池袋公園。事故現場から程近い子供たちの遊び場は、夏の暑さとは別種の熱気に覆われていた。事故の被害者と支援団体が飯塚に厳罰を処すことを求める署名活動を行い、署名希望者で公園はごった返していた。

「上級国民の扱いが許せない」。署名のため千葉県野田市から遠出してきた刈谷文博(67)は実直そうな短髪の頭を揺らして言った。「彼(飯塚)は何か『力』があって『まあまあまあ』で終わらされている」。そう二の句を継ぐと、怒りを表現しあぐねるように口を開けては閉じる。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米共和党の州知事、州投資機関に中国資産の早期売却命

ビジネス

米、ロシアのガスプロムバンクに新たな制裁 サハリン

ビジネス

ECB総裁、欧州経済統合「緊急性高まる」 早期行動

ビジネス

英小売売上高、10月は前月比-0.7% 予算案発表
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:超解説 トランプ2.0
特集:超解説 トランプ2.0
2024年11月26日号(11/19発売)

電光石火の閣僚人事で世界に先制パンチ。第2次トランプ政権で次に起きること

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 2
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対する中国人と日本人の反応が違う
  • 3
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋トレに変える7つのヒント
  • 4
    Netflix「打ち切り病」の闇...効率が命、ファンの熱…
  • 5
    北朝鮮は、ロシアに派遣した兵士の「生還を望んでい…
  • 6
    NewJeans生みの親ミン・ヒジン、インスタフォローをす…
  • 7
    元幼稚園教諭の女性兵士がロシアの巡航ミサイル「Kh-…
  • 8
    【ヨルダン王室】生後3カ月のイマン王女、早くもサッ…
  • 9
    プーチンはもう2週間行方不明!? クレムリン公式「動…
  • 10
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査を受けたら...衝撃的な結果に「謎が解けた」
  • 3
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り捨てる」しかない理由
  • 4
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 5
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 6
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対す…
  • 7
    アインシュタイン理論にズレ? 宇宙膨張が示す新たな…
  • 8
    クルスク州の戦場はロシア兵の「肉挽き機」に...ロシ…
  • 9
    沖縄ではマーガリンを「バター」と呼び、味噌汁はも…
  • 10
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    外来種の巨大ビルマニシキヘビが、シカを捕食...大きな身体を「丸呑み」する衝撃シーンの撮影に成功
  • 4
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 5
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 6
    北朝鮮兵が味方のロシア兵に発砲して2人死亡!? ウク…
  • 7
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 8
    足跡が見つかることさえ珍しい...「超希少」だが「大…
  • 9
    モスクワで高層ビルより高い「糞水(ふんすい)」噴…
  • 10
    ロシア陣地で大胆攻撃、集中砲火にも屈せず...M2ブラ…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中