かくも空虚な「上級国民」批判の正体
THE FAVORITISM QUESTION
背後の金物店に突っ込み大破した「上級国民」とされる石川達紘弁護士の乗用車 Courtesy of Nobuhiro Sato
<ズルする奴らが罪を免れている──疑念と怒りが渦巻く「上級国民」現象で糾弾される「特権階級」は本当にいるのか。本誌「上級国民論」特集より>
「上級国民」──あなたは1度でもこの言葉を口にしたり、ネットに書き込んだりしたことがあるだろうか。あるいは、「上級国民」に怒りを覚えたことは。
昨年末にも、日産のカルロス・ゴーン元会長が保釈中の身でレバノンに逃亡すると、「真の上級国民は海外逃亡できる」「上級国民はいいですね」とゴーンを揶揄する声がネット上を飛び交った。
上級国民。ネットで生まれたこの言葉は、昨年ある事件を機に爆発的に拡散し、実社会でも市民権を得た。2019年の新語・流行語大賞の候補に選ばれ、同年8月に出版された橘玲の『上級国民/下級国民』(小学館新書)は発行部数13万8000部のベストセラーとなっている。
一方で、この言葉の定義は曖昧だ。単に「富裕層」もしくは「上流階級」を指すこともあれば、政治力や財力などの力を利用して罪や責任から逃れる「特権階級」を意味することもある。ゴーンの場合、逮捕・起訴されたことを考えれば(免責特権などなかった)、単なる金持ちと言えそうだが、そもそも日本国籍者ではないゴーンを「国民」と呼ぶには矛盾があり、「グローバル上級国民」という言葉も出回った。
定義が判然としない言葉が、多くの場合は猛烈な怒りを伴い、社会で広く共有される。その背景に、何があるのか。「上級国民」をたたいているのは、「恵まれない下級国民」なのか。得体の知れない言葉が独り歩きする「上級国民」現象の実態を捉えることが、本稿の試みだ。そこで見えてきたのは、「上級国民」対「下級国民」という単純な構図とは異なる日本社会の現実だった。
「上級国民」は実在するのか。まずはこの言葉に火を付けた象徴的な事故に立ち戻って考えたい。
2019年4月19日、東京・池袋で3歳の女児とその母親という2人の死者を出す自動車暴走事故が発生した。運転していたのは、元通産省工業技術院長の飯塚幸三(当時87)。死傷事故の加害者である飯塚が逮捕されず、加えて報道でも「容疑者」ではなく「元院長」などの呼称が使われたため、官僚だった飯塚は「上級国民」だから不当に免責されているのだ、という言説がネットを中心に広まった。
ツイッターでは事件がトレンド入りし、「飯塚幸三」の名前が「上級国民はよ牢獄で逝け」「ひき殺し暴走上級国民」といった怒りと共に拡散。ついにこの言葉は熱を帯びたまま現実社会にも飛び出すことになる。
2019年8月3日、東京・南池袋公園。事故現場から程近い子供たちの遊び場は、夏の暑さとは別種の熱気に覆われていた。事故の被害者と支援団体が飯塚に厳罰を処すことを求める署名活動を行い、署名希望者で公園はごった返していた。
「上級国民の扱いが許せない」。署名のため千葉県野田市から遠出してきた刈谷文博(67)は実直そうな短髪の頭を揺らして言った。「彼(飯塚)は何か『力』があって『まあまあまあ』で終わらされている」。そう二の句を継ぐと、怒りを表現しあぐねるように口を開けては閉じる。