中東和平案、トランプの本音は何か
What Does Donald Trump's Middle East Peace Plan Say
数十年前からアメリカの歴代政権は、中東紛争に平和をもたらすための仲介を試みている。オスマン帝国の統治領だったパレスチナは、第一次世界大戦後にイギリスに委任され、その後国連は47年のパレスチナ分割決議で、イスラエルとパレスチナの領土を設定した。だがパレスチナ人と周辺のアラブの国々は国連決議を不当とし、イスラエルとの間で何度も衝突が起きてきる。
70年代後半、当時のジミー・カーター大統領は、大統領の別荘キャンプ・デービッドにイスラエルとエジプトの首脳を招き、ヨルダン川西岸とガザ地区におけるパレスチナ「自治」政府への支援を含むエジプトとイスラエル間の合意を促進した。
ビル・クリントン大統領は、93年に交渉が始まったイスラエルとパレスチナの合意(オスロ合意)にむけて尽力し、最終的にはパレスチナ自治と統治の限定的な確立をもたらしたが、和平合意の締結には至らなかった。
クリントンは2000年にキャンプ・デービッドの会談で残った不満を解決しようとしたが、成功せずに終わった。パレスチナの新たな蜂起とイスラエルの弾圧によって暴力が急増した。
ジョージ・W・ブッシュは、イスラエルと共存するパレスチナ国家の樹立を求めた最初の大統領であり、国連、欧州連合、ロシアと共同で策定した戦略「和平のロードマップ」でこれを達成しようとした。この計画には、停戦、パレスチナ人の経済回復、そして最終的な地位協定を含む3つの段階が含まれていた。
交渉は次々に頓挫
07年に行われた中東和平国際会議では、ロードマップ実現の最終的な取り決めをまとめるためにイスラエルとパレスチナの指導者がメリーランド州アナポリスに集まったが、条約締結は実現せず、再び紛争に突入した。
バラク・オバマ大統領はイスラエルとパレスチナを交渉のテーブルに戻した。ネタニヤフは初めて将来のパレスチナ国家樹立への潜在的な支持を表明したが、イスラエルとパレスチナの国境線は「第3次中東戦争前の 1967年合意に基づくべき」というオバマに反発、交渉の前提となる入植停止を拒んだため、交渉は頓挫した。アッバスがハマスと和解しようとしていたことも、交渉の崩壊につながった。
トランプは28日、みずからの和平案を打ち出したことで、自分は前任者のオバマとは違うところを見せようとした。
「過去において、最も善意から出た計画でさえ、具体的な事実の詳細についてはあまり触れておらず、概念的な枠組み論に重きが置かれていた。対照的に、この計画は80ページもあり、これまでで最も詳細な提案だ」と、トランプは述べた。