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シリア情勢

トルコの侵攻を黙認する見返りに、米国、ロシア、シリア政府が認めさせようとしていること

2019年10月15日(火)18時55分
青山弘之(東京外国語大学教授)

鮮明になってきたシリア内戦終結の具体的なかたち

話をクルド民族主義勢力に戻そう。トルコ軍の攻撃に再び晒されることになった彼らは、シリア北東部で獲得した既得権益(自治)を維持するため、シリア政府との関係改善に踏み切ることを選択肢の一つとして考えている。イスラーム国に対する「テロとの戦い」において戦略的パートナーでもあった両者は、石油精製、ダム管理、大都市(ハサカ県のハサカ市、カーミシュリー市、アレッポ県のタッル・リフアト市)の治安維持などで(消極的に)協力し合っているが、地方分権(ないしは連邦制)のありようをめぐって鋭く対立してきた。シリア政府は、中央政府の役割を温存したかたちでの地方分権をめざしているのに対し、クルド民族主義勢力は、中央政府が存在しない連合制(コンフェデラリズム)の樹立を究極目標としているためだ。

シリア政府は、トルコの侵攻を阻止できなかったことの責任が、米国に依存するクルド民族主義勢力にあるとし、彼らが分離主義にこだわる限り、対話に応じないと主張してはいる。だが、その一方で、彼らに対して「国家の庇護」のもとに戻るよう熱烈に呼びかけていることは着目に値する。ロシアも両者の関係改善仲介に積極的だ。

その狙いは、2020年の人民議会(国会)選挙、さらには2021年の大統領選挙までに彼らを懐柔することだ。むろん、クルド民族主義勢力が選挙に全面参加する可能性は低い。だが、彼らが、積極的であれ、消極的であれ、選挙にいたる政治過程に関与すれば、次期人民議会や大統領の正統性はいくらか高まるだろう。

クルド民族主義勢力の懐柔はまた、国連が主導する和平プロセスにおいても意味をなす。シリア人どうしの対話と危機の政治的解決をめざすこのプロセスは、9月に大きな進展を見せた。2018年1月にロシアのソチでのシリア国民対話大会で設置が合意されたにもかかわらず、メンバーの人選が難航していいた憲法委員会(ないしは制憲委員会)が1年半を経てようやっと発足したのだ。

シリア政府の代表50人、反体制派の代表50人、国連が選んだ市民社会代表50人の計150人からなるこの委員会は、新憲法の起草(あるいは現行憲法の再考)を目的としており、紛争和解の起点として位置づけられている。だが、委員会メンバーのなかにクルド民族主義勢力はいない。トルコがこれに強く反発してきたためだ。

こうした状況下で、シリア政府が排除されているクルド民族主義勢力を懐柔し、その政治的主張を代弁する体裁を得ることができれば、シリア政府とトルコの関係改善を促す可能性があるのだ。

トルコにとっての目下の優先課題は、シリア政府の処遇(体制の存廃)ではなく、シリア国内のクルド民族主義勢力を弱体化させることにある。ここにおいて、シリア政府、そしてロシアがトルコに再履行を求めているのが1998年に交わされたアダナ合意だ。この合意は、シリアとレバノンを拠点としてトルコ領内で武装闘争を行っていたPKKの脅威を排除し、国境地帯の安全保障を確保するためにシリアとトルコが交わした合意で、(1)当時PKK党首を務めていたアブドゥッラ・オジャランと同党メンバーのシリア入国を認めないこと、(2)シリア国内でのPKKの活動を認めないこと、(3)PKKメンバーをトルコに引き渡すこと、を骨子としていた。

合意を受けて、オジャランはシリアを去り、1999年にケニアで逮捕され、PKKはシリア国内で公然活動を停止し、地下に潜伏した。その後、紆余曲折を経て、2003年にPKKのシリア人メンバーが中心となって結成されたのが、シリアのクルド民族主義勢力の核をなすPYDである。

シリア政府はこのアダナ合意を再生することで、国境地帯の安全保障を確保するという名目のもと、トルコとの断交状態を解消し、反体制派をこれまで以上に阻害しようとしている。そしてこの思惑が実現した場合、トルコもシリア政府にクルド民族主義勢力の行動を監視させることで、彼らに対する「テロとの戦い」の負担の一部を肩代わりさせることができる。

シリアで生じつつある新たな均衡崩壊が「順調」に進むかどうかは依然として不確実だ。欧米諸国やアラブ湾岸諸国が経済制裁を続けるなかでいかに復興を進めるのか。帰国する難民をどう社会復帰させ、復興に参与させるのか。帰国の意思のない難民をどのように処遇するのか。「平和の泉」作戦が作り出そうとしている「安全地帯」に移住する難民をいかに支援できるのか。30万人以上もの犠牲者を出した紛争下での犯罪をどう清算するのか。そこには幾多の障害、そして課題がある。だが、トランプ大統領による新たな「暴挙」によって、シリア内戦終結の具体的なかたちがこれまで以上に鮮明になってきたことだけは事実であろう。
(2019年10月13日執筆)

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