アメリカに見捨てられたISIS掃討戦の英雄たち
After ISIS
クルド人が大国の意向に振り回されるのは今に始まった話ではない。オスマン帝国時代には、今日のイラク北部(シリアのロジャバ地方のすぐ東)で石油資源が発見されるまで、クルド人の存在はほぼ無視されていた。
第一次大戦後にはイギリスによる軽率な線引きでクルド人は置き去りにされた。
最も厳しいのはトルコ国内の状況だ。自治権を求めるクルド労働者党(PKK)は一貫して武装闘争を展開しているが、アメリカもEUも同党をテロ組織と認定している。
だが「アラブの春」とシリア内戦を受けて敵味方の区別が曖昧になった。やがて誰もが敵視したのがISISだ。イラクとシリアの不安定な状況に付け込んで、彼らは一時イギリスの面積ほどの地域を支配した。
そこで戦いの先頭に立ったのがYPGだ。アメリカは14年にYPGへの武器供与と空爆による支援を決めた。顧問的な立場で米兵も送り込んだ。
しかし米兵の立場は明確さを欠いていた。そもそも制服に所属部隊の記章を着けていないし、国連のお墨付きもない。米議会が進駐を認めたわけでもないが、なぜかシリア北部のクルド人地域には米軍基地ができた。
ただしアメリカにとって、駐留継続の負担は大きい。米兵の命が危険にさらされるだけではない。終わりの見えない紛争に大金を注ぎ込むことになる。
アフガニスタンのように状況が悪化するリスクもある。あの国では、まともな和平協議に向けた動きが出るまでに20年近くも要した。それに、当該国政府の同意なしに米軍を駐留させるのは植民地支配に等しい。
トランプはこうした事情を聞いた上で、「出ていく」という言い方で撤収を表明した。その唐突な宣言は、クルド人のみならず、トランプ政権の幹部にも衝撃を与えた。ジェームズ・マティス国防長官(当時)や、対ISIS有志国連合で調整役を担っていた特使が辞任した。
やがてトランプは国際社会の反発を受けて翻意し、兵力約400の「平和維持」部隊を残すという妥協策を示した。シリア内戦でアサド政権を援護するイランに対抗し、トルコ・シリアの国境地帯でクルド人の「安全地帯」を守るためだ。
米軍に対する感情は複雑
SDF(アメリカの資金援助で現有勢力は推定6万人)にとってもアメリカの対テロ戦にとっても、米軍の駐留継続は必要だと考える専門家もいる。
18年にシリア北西部のクルド人支配地域にトルコ軍が侵攻したとき、SDFは応戦に追われ、間隙を突いてISISが戻ってきた。今のSDFに、2つの敵と同時に戦う力はない。
「米軍が明日消えたらSDFは崩壊するだろう」と言うのは、戦略国際研究センターで多国間脅威プロジェクトを担当するマックス・マークセンだ。