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イスラム教の聖なる断食月ラマダンとは? 世界一信者の多い国の現実

2019年5月9日(木)21時00分
大塚智彦(PanAsiaNews)

生活リズムや労働・社会環境も変化

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ラマダン期間中はあちこちでバーゲンが行われている(撮影=筆者)

ラマダン期間中、ジャカルタ市内の住宅街やビジネス街にはブカプアサ(断食が明けて飲食解禁となること)に備えた甘いものや飲食物を売る臨時の売り場ができて、近所の主婦が手造りの惣菜や飲み物、菓子類を机に並べて商売をする。ベンヒル地区にある市場の前には有名な臨時の惣菜市場が立ち、昼過ぎから買い物客で大変な賑わいをみせている。ここではスマトラ島のパダン地方の名物で竹の中にもち米を詰めてココナツミルクで焼いた「ルマン」など普段はあまりお目にかかれない故郷の味が並ぶ。ラマダン時の市場特有の光景である。またデパートや大型ショッピングセンターでは「ラマダン・セールス」が開催されており、廉価での買い物を楽しめる。

その一方で歓楽街や盛り場では昼間の営業どころか期間中の営業を自粛する動きが広がっている。イスラム急進派といわれる白い装束を着たイスラム教徒が市内を巡回し、夜間営業中の「カラオケ店」や「酒類提供店」に閉店を「強要」するトラブルが続発したからだ。 婚姻によらない性行為も禁じられているためいわゆる「風俗店」も闇営業、個人営業を除外すれば全て閉店となる。

一般の会社も勤務時間を切り上げ、特に金曜日は短縮営業というところが多く、普段は日中通し勤務の工場も断食による集中力、注意力低下への懸念から2交代制にシフトするところもある。

断食月に問われる人と社会の寛容性

こうした半面、断食月ならではの不便さも非イスラム教徒の間には数多く存在し、在留邦人などはそれなりに気を使わなければならないことやさまざまな制約も存在する。

人前や屋外での飲食を控え、飲食店内の日中の飲食を目立たなくする、労働意欲や作業効率の低下には寛容の気持ちをもって対応する、などということは所詮インドネシアの圧倒的多数がイスラム教徒であることに由来する。

スマトラ島北部のメダンでイスラム教の宗教施設から一日5回大型スピーカーを通して流れる「アザーン(祈祷呼びかけ放送)」がうるさいと注文をつけた非イスラムの女性が「宗教冒涜罪」で有罪判決を受けたり、ジャカルタ東部のブカシでヒンズー教徒が宗教施設の建設計画をするとイスラム教徒が押しかけて反対運動を展開する。中部ジャワのジョグジャカルタにある公営墓地のキリスト教信者の墓に立てられていた十字架が引き抜かれ廃棄されたり、イスラム教徒が多数の墓地への非イスラム教徒の埋葬が拒否されたり......。こうした実際にインドネシアで今起きていることを考えると、この国が国是の一つとして掲げる「多様性の中の統一」や「寛容性」がいたって狭義なもので独善的な傾向にあることに気が付く。

それでもそうしたことへの批判は極めて少数、そして消極的でもある。なぜならこの国においてはイスラム教徒が圧倒的多数派であり、国民の多くは「イスラム教徒に非ざればインドネシア人にあらず」とすら思っているからだという。

こうした断食月だが、一方でインドネシア治安当局は全土で約10万人を動員してテロへの警戒を強化している。ここ数年、断食月とその前後にイスラム過激派によるテロが続発したからだ。

イスラム教徒の敬虔な祈りと神聖な思いのなかで6月5日ごろまで続く断食月。テロへの厳戒態勢という緊張感が漂う中で、非イスラム教徒は不便さ、疎外感を心の中に押し込めてこの1カ月間をやり過ごそうとしている。


otsuka-profile.jpg[執筆者]
大塚智彦(ジャーナリスト)
PanAsiaNews所属 1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など

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