昭和から令和へ「象徴天皇」を理解するキーワード
これが第1の意味。なお、統治という言葉は、権力を持って国民を支配するという意味ではなく、もっと抽象的なものです。ポツダム宣言受諾かどうかで最後までこだわったのが、天皇という制度の存続でした。そして守りたかったのは昭和天皇という個人の権力者の地位ではありません。場合によっては、昭和天皇が退位してまだ小学生の皇太子が即位し、高松宮が摂政となるという案もありました。細かい説明は割愛しますが、天皇が存続すること自体が統治であり、この第1の意味での国体を護持することでした。
問題は、そこから先です。「国体の本義」は次のように続きます。
《而してこの大義に基づき、一大家族国家として億兆一心聖旨を奉体して、克く忠孝の美徳を発揮する。これ、我が国体の精華とするところである。この国体は、我が国永遠不変の大本であり、国史を貫いて炳として輝いてゐる。而してそれは、国家の発展と共に弥々鞏く、天壌と共に窮るところがない》
「精華」には「すぐれてうるわしいこと」、「生粋」「正味」という意味があります。ただ単に万世一系の天皇が永遠に治めるだけでは、「国体」を実現したとはいえません。国民がひとつの大きな家族として全員が天皇陛下のお気持ちを実行して、忠孝の美徳を発揮する、このことこそ国体(くにがら)の本質をなすことであり、すぐれて美しい実現なのです。これは国民が必ず行わなければならない義務です。疑問をもつのは非国民であり、日本人ではないのです。
新たなキーワードは「信頼」と「敬愛」
このような天皇と国民との関係をつくりあげて、道徳・政治・経済・産業などのあらゆることの根底とした体系、これが「国体」の第2の意味です。
この詔書で天皇が語られたのは、「国体の精華」つまり第2の体系としての国体の否定でした。
それに代わるキーワードは「信頼」と「敬愛」でした。
じつは、これは、けっして新しいことではありません。大正10年(1921)、昭和天皇の皇太子時代に欧州歴訪した際、『読売新聞』(8・21)の社説は、欧州諸国での皇太子の「簡易な御挙動」は将来の君主としての威厳を失わらせるものだと元老や一部の宮内官が憂慮しているというが、それは「時代精神を解しない彼等の頑冥を語るもので、今更問題にするにも及ばない」とし、こう述べます。
《元来皇室と国民を結ぶものは愛のほかはない。君は民を愛し民は君を愛する。その愛から敬が生まれる。畏れは決して愛から生まれない。皇室をして単に厳と畏との当体としたならば国民は決して愛を感じない。》