最新記事

国籍

国籍が国際問題になり得るのはなぜか──国籍という不条理(3)

2019年1月31日(木)11時50分
田所昌幸(慶應義塾大学法学部教授)※アステイオン89より転載

このような冷戦後のヨーロッパのような国際環境が、世界中で実現したわけではないのは言うまでもない。日本周辺の東アジアのように、地政学的緊張はむしろ高まり、複数の国家への帰属が両立しにくい現実が世界の多くの地域の現実である。また広域的な秩序形成に大きな成果を上げたヨーロッパの場合ですら、環境は変化するかもしれない。

イギリスは二〇一六年に国民投票によってEU離脱を決めており、それが実施された後に、イギリス在住のEU市民、EU在住のイギリス市民、そして重国籍者の法的地位がどうなるのかについて、不確実性が高まっている。

また、なくなったはずの地政学的脅威がロシアの対外姿勢が強硬になるにつれて高まり、一部ヨーロッパ諸国でも徴兵制が再開されている。そうなるとどの国家に帰属するかは、EU市民にとっても再び切実な問題になるかもしれない。国家と国家の緊張が高まれば、国家は自国の領域的範囲同様、人的範囲について、より神経質にならざるを得ない。それは非自国民が皆外国政府のスパイだという妄想だけによるものではない。国外の自国民の保護も、国内の外国人の権利保障も、そもそも誰が何処に帰属しているかについて諸国が認識を共有しなければ、管轄権をめぐる紛争の要因になりかねないからである。

共存のために

国籍が国際問題になり得るのはなぜなのか。それは、一方で人が平等で個人として尊重されねばならないというリベラルな原理が日本も含む自由民主主義諸国の基本的な規範となっているが、そういった規範に実効性を与えている究極的な制度が、歴史の現段階で国家以外にないという点にあるのではないか。

そして結局のところ現在の国際秩序は、リベラルな原則に基づいて設計されているわけではなく、異質で多様な人々が国家という制度を尊重することで共存するための制度だからである。地球上の人が法的に平等であれば、人々がそれぞれの国家に帰属し、それによって隔てられるのは不合理である。だが、今日市民の権利を実効的に保障しているのは、それぞれの国家であって、何らかの国際的制度でないのも厳然たる事実である。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

中国で「南京大虐殺」の追悼式典、習主席は出席せず

ワールド

トランプ氏、次期FRB議長にウォーシュ氏かハセット

ビジネス

アングル:トランプ関税が生んだ新潮流、中国企業がベ

ワールド

アングル:米国などからトップ研究者誘致へ、カナダが
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:ジョン・レノン暗殺の真実
特集:ジョン・レノン暗殺の真実
2025年12月16日号(12/ 9発売)

45年前、「20世紀のアイコン」に銃弾を浴びせた男が日本人ジャーナリストに刑務所で語った動機とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の脅威」と明記
  • 2
    【銘柄】資生堂が巨額赤字に転落...その要因と今後の展望。本当にトンネルは抜けたのか?
  • 3
    「前を閉めてくれ...」F1観戦モデルの「超密着コーデ」が物議...SNSで賛否続出
  • 4
    現役・東大院生! 中国出身の芸人「いぜん」は、なぜ…
  • 5
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」…
  • 6
    世界最大の都市ランキング...1位だった「東京」が3位…
  • 7
    首や手足、胴を切断...ツタンカーメンのミイラ調査開…
  • 8
    「体が資本」を企業文化に──100年企業・尾崎建設が挑…
  • 9
    身に覚えのない妊娠? 10代の少女、みるみる膨らむお…
  • 10
    高市首相の「台湾有事」発言、経済への本当の影響度.…
  • 1
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だから日本では解決が遠い
  • 2
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価に与える影響と、サンリオ自社株買いの狙い
  • 3
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出を睨み建設急ピッチ
  • 4
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の…
  • 5
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 6
    キャサリン妃を睨む「嫉妬の目」の主はメーガン妃...…
  • 7
    【クイズ】「100名の最も偉大な英国人」に唯一選ばれ…
  • 8
    中国軍機の「レーダー照射」は敵対的と、元イタリア…
  • 9
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 10
    人手不足で広がり始めた、非正規から正規雇用へのキ…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 3
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 4
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 5
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 6
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 7
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 10
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中