在日韓国人になる
韓国籍の哲学者、竹田青嗣は「人権保障上多少の不利はあるけれど、ほぼ日本人に準じて法的に守られているので、特に国籍を変える理由が自分の中にはなかった」と語る(小熊英二ほか編『在日二世の記憶』集英社新書、二〇一六年、一九二頁)。
では、日本人と比べて欠けていることは何だろうか。大きな点の一つはやはり参政権であろう。韓国政府が国会議員比例代表選挙と大統領選挙における選挙権を在外国民に付与したことで、二〇一二年より在日韓国人も一票を行使できるようになった。ここで表2を見てみると、次のことがわかる。
まず、一二年当時、有権者たるオールドカマーとニューカマーの在日韓国人はおよそ二三万人いたと推測されるが(前掲『在日コリアンの人権白書』、八九頁)、同年の二つの選挙に際し有権者登録した人数はだいぶ少なかった。第二に、その傾向は一六、一七年の選挙でも続き、かつ投票率も下がっている。とりわけ国会議員比例代表選挙のほうの低下は著しい。大統領選挙に関しては日本でもよく報道されるので在日にも関心がわきやすいが、国会議員選挙となると報道も少ないので関心を持ちにくいのが一因だろう。筆者自身、生活基盤のない国の選挙に参加するのはいかがなものかと感じ、一度も投票に行ったことがない。
一方、民団をはじめ、在日韓国人の活動家は日本での地方参政権獲得を長らく訴えてきた。韓国をふくむOECD(経済協力開発機構)加盟国の大半で、定住外国人に地方選挙権が認められている(2)。一九九五年の最高裁判決でも、「〔特別永住者等に地方〕選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではないと解するのが相当である」とされた。
また、二〇〇七年に樋口直人らが東京都の有権者四八〇〇人を対象に行った調査では、六割以上が外国人の地方参政権に賛成しており、他地域での調査結果もこれと同様であった(小倉紀蔵ほか『嫌韓問題の解き方』朝日選書、二〇一六年、二四四頁)。
だが保守政治家や論壇は、外国人に離島を乗っ取られたり、地方政治を牛耳られたりする懸念のほうを優先してきた。そうしてこの問題が政界で取り上げられなくなったと思ったら、唐突にも二〇一七年、希望の党代表だった小池百合子が民進党からの入党希望者に対し、外国人地方参政権反対をふくむ政策協定書への署名を義務づけた。
戦後の粘りづよい運動や闘争をつうじ、在日は日本人とほぼ同等の社会的・経済的権利を得てきた。その上で政治的権利の獲得を志向するのは納得のゆく流れだし、国際的動向とも一致しているだろう。とはいえ、ネットやデモをつうじて排外主義が浸透しつつある今日、よしんば在日をふくむ定住外国人が地方参政権を獲得した場合、死人が出るほどのヘイトクライムが起きるのではないか。少なくとも在日からすれば、政治的権利よりもまずは日常生活の安寧、死なないことのほうが重要だと思われる。