最新記事

ミャンマー

人権の女神スーチーは、悪魔になり果てたのか

2018年6月12日(火)15時30分
ピーター・コクラニス(歴史学者)

しかし、ロヒンギャの窮状は16年に突如始まった危機ではない。ミャンマーにおける仏教徒とイスラム教徒の対立は、19世紀前半のイギリス統治下で移民が奨励されるなどして、南アジアからイスラム系労働者が大量に流入したことに端を発する。先住のビルマ族は仏教徒で、新参のイスラム教徒を警戒した。そしてミャンマー(当時の国名はビルマ連邦)が独立した1948年以降、国内各地で断続的な衝突が起きている。

とりわけ深刻だったのがラカイン州だ。国内の他の地方と違って、もともとラカイン州にはイスラム教徒の住民が多く、少なくとも人口の3分の1を占めていた。そして彼らはロヒンギャと呼ばれていた(政府は彼らを少数民族とも国民とも認定せず、「不法移民のベンガル人」、あるいは「チッタゴン人のイスラム教徒」と呼ぶ)。

ミャンマーでは国民の9割ほどが仏教徒で、その最大勢力であるビルマ族は総人口の7割弱を占める。現地で長年にわたり仏教文化を育んできた彼らの目に、外来のイスラム教徒は植民地支配の落とし子と映る。誇り高き自分たちの国が外国に占領されていた暗黒時代に、統治者イギリスの「準パートナー」としてやって来たのがイスラム教徒だ――そういう受け止め方をしていたから、独立を回復してからのビルマ族とその指導者たちは、イスラム教徒を敵視しがちになった。62年のクーデターを機に軍部が実権を握ると、その傾向はさらに強まった。

軍政だけではない。仏教徒の過激派も「外国人」、とりわけ南アジアから来たイスラム教徒に対する敵意をむき出しにした。そしてイスラム教徒排斥の動きが最も顕著だったのがラカイン州。この州では50年代を皮切りに、70年代後半、90年代初頭、01~02年、そして12年にも仏教徒によるイスラム教徒への組織的な攻撃が起きていた。そうした暴力の連鎖の末に、16年来の危機がある。

15年の総選挙を経て軍部と「和解」し、政権を掌握して以降のスーチーの行動(あるいは行動の欠如)には、こんな背景があったわけだ。

ミャンマーは多民族国家で、公認された民族だけでも135に上る。最大民族のビルマ族はスーチーの支持基盤であると同時に、国軍の中枢を占めてもいる。そしてロヒンギャという民族の存在そのものを否定したのは80年代の軍政であり、スーチーはその立場を引き継ぐしかなかった。

これらの事情は、ロヒンギャ危機をめぐるスーチーの対応を正当化するものでも、ましてや彼女に責任はないと主張するものでもない。ただ、彼女の打てる手は限られているという政治の現実を指摘したいだけだ。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

イラン大統領、自身の発言を「敵が誤解」=国営テレビ

ワールド

王外相、米中対話の重要性強調 イラン情勢巡り軍事行

ワールド

トランプ氏、女子学校攻撃は「イランの仕業」 証拠は

ワールド

レバノン死者300人近くに、イスラエルは「壊滅的な
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:トランプのイラン攻撃
特集:トランプのイラン攻撃
2026年3月10日号(3/ 3発売)

核開発の断念を迫るトランプ政権が攻撃を開始。イランとアメリカの本格戦争は始まるのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【長期戦はイラン有利】米側の体制転覆シナリオに暗雲...専門家「イランの反撃はこれから」「報道と実態にズレ」
  • 2
    中国、4隻目の空母は原子力艦か──世界3番目の原子力空母保有国へ
  • 3
    日本の保護者は自分と同じ「大卒」の教員に敬意を示さない
  • 4
    ダイヤモンドのような「ふくらはぎ」を鍛える最短ル…
  • 5
    日本の若者「韓国就職」憧れと現実のギャップ ── ビ…
  • 6
    大江千里が語るコロナ後のニューヨーク、生と死がリ…
  • 7
    【WBC】侍ジャパン、大谷翔平人気が引き起こした球場…
  • 8
    女性の顔にできた「ニキビ」が実は......医師が「皮…
  • 9
    サファリ中の女性に悲劇...ライオンに「くわえ去られ…
  • 10
    「毎日が人生最後の日」だと思って酒を飲む...84歳医…
  • 1
    日本の若者「韓国就職」憧れと現実のギャップ ── ビザの壁、会社都合の解雇、帰国後も続く苦境
  • 2
    縫いぐるみが相棒、孤独なサル「パンチくん」がバズった理由
  • 3
    BTS復活...でも、韓国エンタメが「苦境」に陥っている
  • 4
    イラン猛反撃、同士討ちまで起きる防空戦はいつまで…
  • 5
    「毎日が人生最後の日」だと思って酒を飲む...84歳医…
  • 6
    見事なカンフーを見せた中国ヒト型ロボットのからく…
  • 7
    サファリ中の女性に悲劇...ライオンに「くわえ去られ…
  • 8
    【長期戦はイラン有利】米側の体制転覆シナリオに暗…
  • 9
    少子化に悩む韓国で出生率回復...昨年過去最大の伸び…
  • 10
    「死体を運んでる...」Google Earthで表示される「不…
  • 1
    ウクライナ戦闘機「F-16」がロシア軍「シャヘド」を空中爆破...地上から撮影の「レア映像」を公開
  • 2
    台湾侵攻「失敗」の大きすぎる代償
  • 3
    「最恐」恐竜T・レックスの定説を覆す新研究が
  • 4
    イースター島の先住民から資源を略奪、島を「生きた…
  • 5
    見事なカンフーを見せた中国ヒト型ロボットのからく…
  • 6
    アルコールは血糖値を下げる...「脳と血管を守る」医…
  • 7
    「ヘル・コリア」から日本へ7万人 ── 大企業の高給より…
  • 8
    中国、パナマ運河の港湾喪失でパナマに報復──トラン…
  • 9
    命は長し、働け女たち――88歳「働くばあさん」が説く…
  • 10
    日本の若者「韓国就職」憧れと現実のギャップ ── ビ…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中