最新記事

ミャンマー

人権の女神スーチーは、悪魔になり果てたのか

2018年6月12日(火)15時30分
ピーター・コクラニス(歴史学者)

08年の新憲法制定や15年の総選挙でのNLD圧勝が象徴するミャンマーの「開放」は極めてもろい。開かれた扉は、国軍の幹部たちがその気になれば、すぐにも固く閉ざされてしまいかねない。現に、昨年にはスーチーの側近だったイスラム教徒のコーニー法律顧問が何者かに暗殺されている。

「連邦」を守ることが最重要

スーチーに対する評価は分かれるだろうが、彼女が愚かだと考える人はほとんどいない。そして彼女は、ミャンマーの権力構造を嫌というほどよく分かっている。そしてジャーナリストのフランシス・ウェイドが指摘したように、これまで何十年にもわたって軍政を非難してきたミャンマーの民主派の多くが、一方ではロヒンギャに対する軍の強硬な対応を支持しているという事実を忘れてはならない。

新興の民主主義国には、しばしば大衆迎合的で超民族主義的な行動が見られるものだ。欧米の成熟した民主主義諸国の国民の目には、それは許し難く見苦しいものと映るだろう。ミャンマーにおけるイスラム教徒と仏教徒の長年にわたる争い(その到達点の1つがロヒンギャに対する残虐行為だ)は、その最たるものと言える。しかし何十年にもわたる軍事独裁からようやく解放されたばかりの、危なっかしい多民族国家にあっては、今の状態も驚くには当たらないのだ。

ロヒンギャ危機に対するスーチーの対応を評価するときには、こうした事情を全て考慮に入れる必要がある。彼女が民族主義者であり、国民の9割弱を占める仏教徒の1人であり、ビルマ族の出身だという事実を忘れないでほしい。「建国の父」と呼ばれた亡き父アウンサン将軍も仏教徒で民族主義者だった。そしてビルマ族系の仏教徒なら誰でも、この御し難い多民族国家の団結を守り抜こうと思っている。

ミャンマーの正式名は「ミャンマー連邦共和国」だが、今のこの国は「連邦」の体を成していない。スーチーがロヒンギャに手を差し伸べ、あるいはその名を口にするだけでも、今までの努力が水泡に帰す恐れがある。

スーチーの姿勢は、いくつかの点でアメリカ南北戦争の初期にエイブラハム・リンカーン大統領が奴隷解放に対して取った姿勢に近い。

リンカーンも共和党も1862年9月の奴隷解放宣言よりかなり早い時点から奴隷解放に向けて動いていたというのが、歴史学者の間では定説になりつつある。しかし奴隷解放宣言のちょうど1カ月前に、リンカーンは奴隷制廃止を訴える新聞編集者のホレイス・グリーリーに対し、戦争における「最重要の課題」は「奴隷制を守るか壊すかではなく、連邦(ユニオン)を守ること」だと書き送っている。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

原油先物、週間で4カ月半ぶり下落率に トランプ関税

ビジネス

クシュタール、米当局の買収承認得るための道筋をセブ

ビジネス

アングル:全米で広がる反マスク行動 「#テスラたた

ワールド

トルコ中銀が2.5%利下げ、インフレ鈍化で 先行き
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
2025年3月11日号(3/ 4発売)

ジャンルと時空を超えて世界を熱狂させる新時代ピアニストの「軌跡」を追う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 2
    「コメが消えた」の大間違い...「買い占め」ではない、コメ不足の本当の原因とは?
  • 3
    113年間、科学者とネコ好きを悩ませた「茶トラ猫の謎」が最新研究で明らかに
  • 4
    一世帯5000ドルの「DOGE還付金」は金持ち優遇? 年…
  • 5
    強まる警戒感、アメリカ経済「急失速」の正しい読み…
  • 6
    著名投資家ウォーレン・バフェット、関税は「戦争行…
  • 7
    イーロン・マスクの急所を突け!最大ダメージを与え…
  • 8
    定住人口ベースでは分からない、東京23区のリアルな…
  • 9
    テスラ大炎上...戻らぬオーナー「悲劇の理由」
  • 10
    34年の下積みの末、アカデミー賞にも...「ハリウッド…
  • 1
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    イーロン・マスクへの反発から、DOGEで働く匿名の天才技術者たちの身元を暴露する「Doxxing」が始まった
  • 4
    アメリカで牛肉さらに値上がりか...原因はトランプ政…
  • 5
    ニンジンが糖尿病の「予防と治療」に効果ある可能性…
  • 6
    「浅い」主張ばかり...伊藤詩織の映画『Black Box Di…
  • 7
    イーロン・マスクの急所を突け!最大ダメージを与え…
  • 8
    「コメが消えた」の大間違い...「買い占め」ではない…
  • 9
    「絶対に太る!」7つの食事習慣、 なぜダイエットに…
  • 10
    ボブ・ディランは不潔で嫌な奴、シャラメの演技は笑…
  • 1
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 2
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 7
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 8
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 9
    細胞を若返らせるカギが発見される...日本の研究チー…
  • 10
    イーロン・マスクへの反発から、DOGEで働く匿名の天…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中