歴史と向き合わずに和解はできるのか(コロンビア大学特別講義・解説)
――日本人が開戦を思い起こすことなしに「和解」はあり得るのだろうか。
アメリカとは可能だろうが、中国とは現時点では可能ではないだろう。日本では、真珠湾を攻撃してアメリカとの戦争が始まり、原爆が投下されて戦争が終わったと認識されている。それは、「太平洋戦争」という言葉に集約されているだろう。パールハーバーから広島までというのは、アメリカによる日本占領期に日米が共同で作り上げ、日米同盟によってその後何十年も支えられてきた物語だ。
だがこの物語には、中国との戦争が欠けている。日本の共通の記憶には、37年の盧溝橋事件から始まった日中戦争について、よく知られ広く語られる物語というのが含まれていない。もしかするとこれが、一部の著名な日本人でさえ日本によるアジア侵略と南京虐殺を否定できる理由なのかもしれない。日中戦争は、日本が語る第二次世界大戦の物語に含まれていないからだ。
一方でパールハーバーを「否定」しようとする人などほとんどいないのは、それがまさに日本人が非常によく知っている物語の始まりだからだろう。
では広島原爆についてはどうなのか。今もほとんどのアメリカ人が原爆投下は間違いだったとは考えないなか、日本人は長い間「二度と繰り返さない」という記憶を持ち続けてきた。アメリカはなぜ核戦争時代に突入するきっかけとなった戦時中の自国の行為に向き合う必要に迫られないのか。この現象については次回話すことにしよう。
ニューズウィーク日本版2017年12月12日号
「コロンビア大学特別講義 第1回 戦争の物語」
CCCメディアハウス
※本記事はこの特集号からの転載です。
ニューズウィーク日本版2018年3月20日号
「コロンビア大学特別講義 第2回 戦争の記憶」
CCCメディアハウス
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