エルサレム首都宣言で露呈した、インティファーダができない現実
怒りの背後に「エルサレムのユダヤ化」
「エルサレム首都」宣言に対するパレスチナ人、とりわけ東エルサレム住民の怒りは、単に宗教的な理由だけではない。1967年の併合直後からイスラエル政府によって着々と既成事実化されてきた、いわゆる「エルサレムのユダヤ化」に対する危機感と長年鬱積した怒りがある。
イスラエル政府は、東エルサレムを占領し併合した当時のユダヤ人72%、アラブ人(パレスチナ人)28%というエルサレムの人口比率を維持し、ユダヤ人多数の「首都」を維持するために、パレスチナ人住民人口を減少させる政策を推し進めてきた。
その政策の1つが、パレスチナ人住民の住居新設または増設の禁止である。エルサレム市当局は、東エルサレムの広大な地域を将来、公園建設などを名目にした「グリーン地区」に指定した。
その区域内では私有地であっても、パレスチナ人住民は住居の新築も増築もできない。家族が増えて新築や増築が必要となり、多額の費用で建設許可を市当局に申請しても、当局から許可が下りることはほとんどない。他に手段のない住民は許可書なしで自宅を新築・増築する。すると、市当局はそれらを「違法建設物」として破壊する。
住居を失ったパレスチナ人住民は、エルサレム郊外に住居を新設するしかない。しかし検問所などでエルサレムの外に居住していることがわかれば、エルサレム住民を示すID(身分証明書)を没収され、もうエルサレムに入れなくなる。
こうやってパレスチナ人住民は東エルサレムを追われ、その跡地に公園だけではなく、ユダヤ人入植地が造られ、ユダヤ人が移住してくる。67年の占領当時はゼロだった東エルサレムのユダヤ人人口は現在20万人を超えた。
東エルサレムを追われるのは、住居の新設または増設を迫られたパレスチナ人住民だけではない。現在パレスチナ人が住む住居も、1948年のイスラエル建国以前にユダヤ人が所有していた土地は、(たとえそれが1000年前でも)申告があればユダヤ人の所有が許される「土地管理法」(1970年成立)、また土地や住居の所有者が不在の場合は「不在者財産管理法」(1950年成立)によって「合法的」にイスラエル当局に没収される。
やがてそこにユダヤ人入植者が住み着くことになる。そのようにして東エルサレムのパレスチナ人は住居を追われ、ユダヤ人入植者にとって代わられ、東エルサレムの「ユダヤ化」は着々と進行していく。
第3次インティファーダは起こらない?
パレスチナ人の怒りはインティファーダ(民衆蜂起)に発展していくのか。
「(ヨルダン川)西岸のパレスチナ人とりわけ都市部の住民は、蜂起によって失うものを持っているから、動きません」と私に語ったのはある人権NGOの代表だった。1994年のパレスチナ自治政府の誕生後、都市部では一定の経済活動が自由になり、中流階級が育ってきた。商業都市ラマラ市やその近郊では、新築の住居ビルが建ち並び、高価な車が走り回るようになった。「ほとんどローンで購入したものです。彼らは蜂起でその財産を失いたくはないのです」というのである。