最新記事

日本

偽物の効用──「震災遺構」保存問題の周辺から

2017年9月12日(火)16時43分
渡辺 裕(東京大学大学院人文社会系研究科教授)※アステイオン86より転載

 当初本人は、「風景を思い出すきっかけになるんじゃないか」程度のつもりで、てっきり怒られるかと思って「こっそり置いた」くらいだったのだが、これがどんどん増えてゆくことになるのだ。この地域は現在は居住できないが、それでも時折訪れる元住民も多く、それらの人々が集まるプレハブのロッジを開設する人がいたり、流されて土台だけ残った自宅の「遺構」をスケートボード場に改装し、開放する人がいたりと、人々のつながりは散発的に続いていた。その後「バス停」はこれらの拠点的な場所に次々と立てられてゆき、この記事の時点ですでに六箇所になったという。言わば、「記憶の中のバス」が走ることで、隠れていたつながりが可視化されたのである。

 昨年一二月には何とここに「本物」のバスが走った。仙台を拠点に、街の様子を定点観測した写真集を出版するなど、土地の記憶に関わる様々なプロジェクトを行っているNPO法人とのコラボレーションで、一日限りで「本物」の仙台市バスを貸し切って運行するイヴェントが行われたのである。その様子を撮影した動画をYouTubeで見たが、元住人が、持参した写真を見せながら「ここに床屋さんがあって......」などと語り出し、記憶をたぐりよせてゆくのに呼応して、子供の頃に海水浴に来た人、特にこの地域に縁があったわけでもなく、好奇心半分でカメラを持ってやってきた若者など、いろいろな人々がそれに耳を傾け、奇妙な一体感をもった空間が形作られていた。終点では「お帰りなさい、荒浜へ」などの横断幕をもった旧住民が出迎えた。「保存」問題で、立場の違う人々の異なった「記憶」がぶつかり合い、分断さえ招きかねない状況となっていたのとはまた違った「記憶」の継承のあり方が、ここにはある。

 何が何でも「本物」保存という、肩に力の入ったやり方でなくとも、「偽物」でも立派に人々の記憶の継承の担い手になりうるということを、この事例は示している。それどころか、元住民の過去の記憶だけでなく、未来に向けて新しい動きを作り出そうとする住人たちの想い(スケートボード場も見てきたが、これまた何とも卓抜な発想のものであった)や、この地域に無縁だった人々の好奇心までもゆるやかにつなぎとめてゆく状況が形作られたのは、むしろこれが「本物」ではなく「偽物」であったがゆえのことではないかとすら思えてくるのである。

 もちろん、こちらの方が正しいやり方だなどと言いたいのではない。「本物」だからこそでき、「偽物」には逆立ちしてもできないことは当然あるだろうし、住民の思惑の違いがいろいろあるのは、荒浜でも同じだろうから、「偽バス停」にすべての人が好意的な目を向けているとは限らない。重要なのは、「記憶」をめぐる問題系は多元的であり、いろいろな回路や選択肢がありうると認識することである。唯一の「本物」にこだわり、狭められた選択肢を住人に押しつけるようになってしまう前に、そういう多様な可能性が確保されていれば、また別の道筋をみつけることもできるだろう。

「震災遺構」に限った話ではない。このことが、建築物や町並みの保存はもとより、およそ文化と呼ばれるものの保存や継承には常につきまとうことを心にとめておかねばと、切に思う。

渡辺 裕(Hiroshi Watanabe)
1953年生まれ。東京大学文学部卒業、同大学大学院修了。玉川大学文学部助教授、大阪大学文学部助教授などを経て現職。専攻は音楽社会史、聴覚文化論。著書に『聴衆の誕生』(春秋社、サントリー学芸賞)、『日本文化 モダン・ラプソディ』(春秋社、芸術選奨文部科学大臣新人賞)、『歌う国民――唱歌、校歌、うたごえ』(中公新書、芸術選奨文部科学大臣賞)、『サウンドとメディアの文化資源学』(春秋社)など。

※当記事は「アステイオン86」からの転載記事です。
asteionlogo200.jpg




『アステイオン86』
 特集「権力としての民意」
 公益財団法人サントリー文化財団
 アステイオン編集委員会 編
 CCCメディアハウス

【お知らせ】ニューズウィーク日本版メルマガリニューアル!
 ご登録(無料)はこちらから=>>

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米エヌビディア、ノキアに10億ドル投資 AIネット

ビジネス

米UPSの7─9月期、減収減益も予想上回る コスト

ワールド

イスラエル首相、ガザ地区へ即時攻撃を軍に命令

ワールド

トランプ氏3期目「道筋見えず」、憲法改正は時間不足
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:高市早苗研究
特集:高市早苗研究
2025年11月 4日/2025年11月11日号(10/28発売)

課題だらけの日本の政治・経済・外交を初の女性首相はこう変える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【話題の写真】自宅の天井に突如現れた「奇妙な塊」にSNS震撼、誰もが恐れる「その正体」とは?
  • 2
    庭掃除の直後の「信じられない光景」に、家主は大ショック...ネットでは「ラッキーでは?」の声
  • 3
    楽器演奏が「脳の健康」を保つ...高齢期の記憶力維持と認知症リスク低下の可能性、英研究
  • 4
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦…
  • 5
    「ランナーズハイ」から覚めたイスラエルが直面する…
  • 6
    「死んだゴキブリの上に...」新居に引っ越してきた住…
  • 7
    「何これ?...」家の天井から生えてきた「奇妙な塊」…
  • 8
    シンガポール、南シナ海の防衛強化へ自国建造の多任…
  • 9
    「宇宙人の乗り物」が太陽系内に...? Xデーは10月2…
  • 10
    「信じられない...」レストランで泣いている女性の元…
  • 1
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 2
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 3
    中国レアアース輸出規制強化...代替調達先に浮上した国は?
  • 4
    超大物俳優、地下鉄移動も「完璧な溶け込み具合」...…
  • 5
    【クイズ】1位は「蚊」...世界で「2番目に」人間を殺…
  • 6
    熊本、東京、千葉...で相次ぐ懸念 「土地の買収=水…
  • 7
    【話題の写真】自宅の天井に突如現れた「奇妙な塊」…
  • 8
    報じられなかった中国人の「美談」
  • 9
    【2025年最新版】世界航空戦力TOP3...アメリカ・ロシ…
  • 10
    庭掃除の直後の「信じられない光景」に、家主は大シ…
  • 1
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 2
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になりやすい人」が持ち歩く5つのアイテム
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    「大谷翔平の唯一の欠点は...」ドジャース・ロバーツ…
  • 5
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 6
    増加する「子どもを外注」する親たち...ネオ・ネグレ…
  • 7
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
  • 8
    バフェット指数が異常値──アメリカ株に「数世代で最…
  • 9
    「日本の高齢化率は世界2位」→ダントツの1位は超意外…
  • 10
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中