中国は北にどこまで経済制裁をするか?
ソ連崩壊で中国に接近――中国は北朝鮮の後ろ盾なのか?
そんなわけで中ソ対立の間、北朝鮮はおのずと旧ソ連との距離を縮め、経済支援だけでなく、ミサイルや核開発に関するノウハウを仕入れた。1991年12月に旧ソ連が崩壊すると、今度は中国に接近しようとしたが、1992年8月に中国が韓国と国交樹立。まだ休戦協定中で朝鮮の南北戦争が終わっていない状況において北朝鮮にとって、韓国は戦争中の敵国だ。
その韓国と国交樹立したことに激怒した北朝鮮は、「それなら『中華民国』と国交を樹立してやる!」と中国を脅した。
鄧小平は「やるなら、やってみろ!北朝鮮と国交を断絶してやる!」と北朝鮮を威嚇。
根を上げた北朝鮮だったが、「それなら経済援助を強化せよ」という威嚇外交を中国に突き付けたのだ。
「それなら改革開放をしろ!」と要求する中国に対して、北朝鮮は応じなかったが、少しずつ歩み寄りの姿勢を見せ始めた。
北朝鮮との辺境貿易は「改革開放」を促す手段
そこで鄧小平は改革開放の良さを思い知らせるために、辺境貿易を促進し、北朝鮮庶民の商売根性を刺激した。90年代の中国庶民の「銭への爆走」のエネルギーが、こんにちの中国の経済繁栄をもたらした原因の一つになっているが、金正日(キム・ジョンイル)は胡錦濤政権時代に改革開放に興味を持ち、中国を視察している。
この時代は、中国はまだ何とか北朝鮮をコントロールできた。
北朝鮮の核・ミサイル開発と中朝貿易――北の対中依存度90%に
北朝鮮は早くも1994年6月に国際原子力機関(IAEA)からの脱退を宣言している。それに対してアメリカは懐柔策を採り、「米朝国交正常化への道筋の枠組み」を条件にしながら「北朝鮮国内での核開発の凍結」を約束させた。ところが北朝鮮は核開発を凍結してはいなかった。そこから一気に今日までの状況に至るが、3月17日に来日したティラーソン米国務長官が「アメリカの、ここ20年間の対北朝鮮政策は失敗だった」と言ったのは、この辺の状況を指したものだろう。
国連における経済制裁や韓国のパククネ政権時代の開城(ケソン)工業団地閉鎖などに伴い、2010年前後までは対中依存度が約50%程度だった北朝鮮の貿易は、今では対中依存度90%にまで達していることが分かった(WTOデータなど)。
中国が政府として一定程度の経済制裁をしていてもなお、貿易額が減少せず、あたかも北朝鮮の経済を中国政府として支えているように見えるのは、この辺境貿易があるからだ。
一党支配体制で絶対的ヒエラルキーがあるはずの中国で、なぜ政府の命令に逆らって辺境貿易がはびこるのかという疑問があるが、これは「なぜ国有企業の構造改革ができないのか」という疑問と同じで、回答はただ一つ、地方人民政府の力が強いからだ。