「ガイジン専用」という「おもてなし」
なら社会の制度もこういった前提で設計せねばなるまい。必要なことは、「ガイジン」専用の制度で隔離して「おもてなし」することではない。外国語による支援は必要だし、逆に現場で外国語対応に苦労している日本語話者への支援も必要だ。交通機関では英語や中国韓国語表示が相当進んだ。車内放送も気がついてみると、日本語とともに英語放送もあったりする。医療や司法それに行政の現場では、もっとやるべきこともたくさんある。だが、必要もないのに「ガイジン」を隔離して「おもてなし」するのは、単純にばかげている。
また日本人ですら戸惑うような複雑な制度を、外国人にも了解しやすいように簡素化するよう見直すのは、他ならぬ日本人に利益になるだろう。どの国にも独自の制度はあるものだし、日本規格に優れているものもある。例えばレストランやタクシーの支払いでチップが期待されないのは誇るべき透明な制度である。でも例えば自治体ごとに異なる複雑なゴミ出しのルールなどは、私ですら理解が難しく高齢者などにも辛そうなくらいだから、新たに日本に住んだり滞在したりする外国人にはルールを守ろうという意図があっても超難関に違いない。いろいろな書類に、文房具屋に行けば誰でも買える三文判をおさないといけないのも意味不明だし、判子をもっていない外国人はどうするのだろう。
日本語という制度も、外国人に不便だという理由だけで変える必要はないし、そんなことは不可能だ。日本の住人が日本語という制度の下で生活するのは当たり前のことで、海外では私も含めて多くの日本人が外国語で四苦八苦している。外国語のできるタクシーのドライバーを養成することはいいことかもしれないが、唯でさえ外国語の苦手な日本人が多くの外国語に対応することなど不可能だし、外国語対応にコストがかかる以上、それをだれがどのように負担するべきかという問題も避けて通れない。でもタクシーで行き先を伝えたり、レストランで注文をするといったことくらいなら、タブレット端末、携帯、インターネットによる翻訳サービスで対応した方が、よほど低コストで双方にとってよいのではないだろうか。この程度の知恵は、制度を設計する関係者が、言葉のわからない外国に旅行して苦労すればすぐに出てくるだろう。
そんなことを考えながら、翌日電車で大阪に向かった。昔大学に通うのに毎日のように乗ったとある私鉄では、特急・通勤特急・快速急行・急行・通勤急行・準急と列車種別の分類が飛躍的に細かくなっていただけではなく、終日女性専用の車両があった。女性専用車両があるのなら男性専用車両もなければ不合理ではないか、と私は常々思っているが、日本語の読めない外国人が乗ってきたらどうなるのか、LGBTの人はどうするのか。そんなことが頭をよぎった。
【参考記事】日本に観光に来た外国人がどこで何をしているか、ビッグデータが明かします
(1) http://www.city.kyoto.lg.jp/sankan/page/0000203180.html
(2) http://wwwtb.mlit.go.jp/kinki/press/files/1464754903.pdf
田所昌幸(Masayuki Tadokoro)
1956年生まれ。京都大学大学院法学研究科中退。姫路獨協大学法学部教授、防衛大学校教授などを経て現職。専門は国際政治学。著書に『「アメリカ」を超えたドル』(中央公論新社、サントリー学芸賞)、『ロイヤル・ネイヴィーとパクス・ブリタニカ』(編著、有斐閣)など。
『アステイオン85』
特集「科学論の挑戦」
公益財団法人サントリー文化財団
アステイオン編集委員会 編
CCCメディアハウス