【敗戦の辞】トランプに完敗したメディアの「驕り」
その傾向は、大統領選の討論会場でも明らかだった。9月末にニューヨークで行われた第1回目のクリントンvs.トランプの討論会は、会場に設けられたメディアセンターで観戦した。世界中から詰めかけている大勢の同業者たちと一緒にクリントンとトランプのやりとりを見ていたわけだが、トランプが何か発言するたびに周りの記者たちから失笑、ときに爆笑の声が上がる。さながら同業者たちと一緒にお笑い番組を観ているようで、ここでもトランプをどこかまともに捉えていない空気を感じた。
第3回目の討論会はコロンビア大学ジャーナリズムスクール主催の観戦集会に出向いたが、この時も会場内の「失笑ポイント」が同じで、妙な一体感があった。ニューヨークでジャーナリズムを学んだ後に米メディアの中枢に入っていくような人たちは、少なくとも「トランプ不支持」という価値観で一致しているのだなと、納得したものだ。
もちろんメディアで働く人間も、仕事上は自分の個人的な支持、不支持にとらわれない中立な報道を心がける。米メディアは媒体としてどちらの候補を支持するかを表明する傾向にあるが、中で働いているスタッフは原則として自分の支持する候補を利することを目的として報道することはない(オピニオン記事で主観を述べることはあるが)。だが仕事を離れればメディアの人間にも支持、不支持があり、それを仲間内で口にすることもある。その点で言うと、少なくとも私の周りで「私はトランプを支持している」と堂々と公言している同業者は1人もいなかった(共和党支持者はいる)。
ここまでの大どんでん返しは想定できなかった
では、立場上は客観的に分析していたはずの米メディアは、なぜ間違えたのか。既に米メディアにはさながら「反省文」とも言える記事が出始めているし、何を間違えたのかは今後徹底的に議論されていくだろう。しかしなぜ予想が外れたかについて現時点で誰の目にも明らかな理由の1つは、メディア側が世論調査の結果を過信し、読み違ったことだ。
勝敗予想の大きな根拠とされているのが世論調査である以上、もちろんどのメディアも「絶対」という言葉は使わなかったし、私も「最後まで何が起きるか分からない」とは思っていた。むしろ「世論調査をどこまで信じられるか」という話は同業者同士でよくしていたし、世論調査の「穴」を指摘する声もあった。ではなぜ、それでもメディアが世論調査を積極的に活用したのかと言えば、過去数年の結果を見ていて大どんでん返しと言えるほど極端に外れた例がなかったことが大きいだろう。
08年のバラク・オバマの大統領選でも、本音では黒人を受け入れない「隠れアンチオバマ」票があるのではとささやかれていたが、結局オバマが勝った。08年と12年の大統領選では、「天才統計学者」と呼ばれるネイト・シルバーがビッグデータを駆使して予想をほぼ完璧に的中させていた。
結果として、今回メディアは世論調査に出てこない「隠れトランプ支持層」の存在を見誤っていた。いや、その存在は分かっていたし、私も教養のある共和党員と話すほどに「隠れトランプ支持者」の存在を実感してはいたが、メディアはその数がここまで多くて、彼らが実際にトランプに投票しに行くとは思っていなかったのだろう。もちろん、とらえきれなかったのは「反エスタブリッシュメント」「クリントン嫌い」「アンチ民主党」の根深さかもしれないし、他にも「予想が外れた理由」は今後議論されていくことになる。だがとにかく、今回の大統領選はメディアと世論調査、統計学や専門家の完全なる敗北だった。
【参考記事】元大手銀行重役「それでも私はトランプに投票する」
どうしてメディアは「隠れトランプ支持層」の広がりと力を見抜けなかったのか。客観的に証明するのは難しいが、自戒をこめて個人的な見解を述べるなら、私は「アメリカ人の良識」を信じようとする心が、もしかするとどこかで予想にバイアスをかけたのではないかと思う。