トランプ、言った者勝ちの怖さ
Carlo Allegri-REUTERS
<まあまあ友好的にメキシコを訪問してわずか数時間後、アメリカに取って返して「メキシコとの国境に壁を築く」「費用はメキシコ政府に払わせる」と宣言──トランプの二面性がまた露わになった。少し大人しくしていたと思っても、すぐに強硬論に戻る。気づけば誰もが、それがどれほど価値のない暴言かを忘れそうになっている。どんな暴論も繰り返せば人々の思考に変化を及ぼす、そんな言語学の仮説を地で行っているのではないか>
世界中でベストセラーになったイギリスの脚本家ダグラス・アダムズの小説『銀河ヒッチハイクガイド』には、耳に入れるとどんな言葉も翻訳してくれる「バベルフィッシュ」が登場する。その奇妙な生き物は、異なる人種や文化を持つ人々がコミュニケーションをする際の障害をすべて取り除いてくれるのだが、その結果人々の言葉は丸裸になって対立が表面化する。アダムズは、万能翻訳を可能にするバベルフィッシュは「人類創造以来最も血なまぐさい戦争を引き起こす」と記した。
何度も唱えれば叶う
大統領選での勝敗は別として、トランプの言葉には目を見張るものがある。恐ろしくもあり、注目すべきことは、アメリカ英語のネイティブスピーカーほど、彼の発言の意味を理解しようと四苦八苦している点だ。アメリカ国民の銃を所持する権利を定めた「合衆国憲法修正第2条」の支持者には「できることがある」と、暗に民主党の大統領候補ヒラリー・クリントンの暗殺をほのめかす。バラク・オバマ大統領は「テロ組織ISIS(自称イスラム国、別名ISIL)の創設者だ」と言い出す。トランプが問題発言をするたびにその真意をめぐって憶測が飛び交い、何日もメディアを賑わす。
【参考記事】銃乱射で勢いづく銃支持派の狂った論理
【参考記事】トランプの選挙戦もこれで終わる?「オバマはISISの創設者」
だが、トランプの言葉の意味を問うこと自体がナンセンスなのかもしれない。トランプとその支持者たちは、言語が人々の思考や世界の見方に影響を与えると信じる言語学の一派のようだ。事実、トランプに選挙戦を通じて一貫した信念があるとすれば、どれほど現実味がなく論理に欠ける言葉でも、口に出して言い続ければそれが真実になり現実に影響するということだ。
「アメリカを再び偉大にする」というキャッチフレーズを繰り返せば、聴衆の頭に「現在のアメリカは偉大ではない」、今の民主党政権が続いてはならない、という信念をいとも簡単に植え付けることができる。同様に「いかさまヒラリー」や「嘘つきテッド(・クルーズ)」といった発言を連発し言語を巧みに操ることで、誰も予測しなかった大統領選を実現してきた。