最新記事

社会思想

レイシズム2.0としての「アイデンティタリアニズム」

2016年9月12日(月)18時05分
八田真行(駿河台大学経済経営学部専任講師、GLOCOM客員研究員)

ヨーロッパで広がるアイデンティタリアニズム

 しかし、多文化共生の理想は麗しいものの、実際にはきれいごとばかりでは済まないのもまた事実である。少なくとも、それによって割を食う人々というのは相当数いるのだ。そこには目をつぶり、市井の人々が抱いた素朴な違和感を(SJW流に)抑圧したのが、こうした人々をオルタナ右翼へ追いやり、その伸張を許した原因の一つだと私は思う。しかも、先に書いた話と関連づけると、相互不可侵で他の集団には手を出さない、という意味では孤立主義的な心情が強いペイリオコンと、そして個人の自由を重視して似たような志向の人で集まって暮らしましょうという意味ではリバタリアン的な心情とも整合性がある。

【参考記事】alt-right(オルタナ右翼)とはようするに何なのか

 ちなみに、アイデンティタリアニズムはスペンサーの独創ではなく、実はアメリカ発祥でもない。そもそもはヨーロッパ、フランスで生まれた思想だそうで、フランスやドイツ、オーストリア、イタリア、スロヴェニアで勢力を伸ばし、少し違うがロシアでも似たような動きがあるらしい。マーカス・ウィリンガーというオーストリア人の大学生が書いた「アイデンティティ世代:68年世代への宣戦布告」という本が、ヨーロッパにおけるアイデンティタリアニズムの代表的文献とされているようだ(私は未読)。

51QI3zIxP6L.jpg

Generation Identity (English Edition)

 この本のタイトルからも明らかなように、ヨーロッパにおけるアイデンティタリアニズムはなかなか面白い展開を見せている。というのも、世代間闘争の要素が含まれているのだ。1968年ごろ青春を過ごし、ラジカルな左翼運動に強く影響されたベビーブーマー世代を「68年世代('68ers)」と呼び、彼らこそが、多文化主義だの国際化だのフェミニズムだのといったリベラル的価値観を考え無しに後続の世代に抑圧的に押しつけた問題の元凶だ、と主張するのである。

 また、フランスではBloc identitaire、アイデンティタリアン・ブロックという政治運動があり、これはフランスで近年勢力を伸ばしている極右政党、国民戦線と関係があるようだ。国民戦線は、創設者で前党首のジャン=マリー・ル・ペンは反ユダヤ主義でいわば昔ながらのレイシストだったのだが、現党首で娘のマリーヌ・ル・ペンは基本線をアイデンティタリアニズム的なものに置いていて(ゆえに父親を追放した)、それが支持基盤の拡大に功を奏しているらしい。そしてヨーロッパにおけるアイデンティタリアニズムは、アイデンティティ集団ごとの棲み分けと分権化を目指すという点で、結局はEU解体の思想なのである。

 ちなみに、経済学者でハーバード大学教授のダニ・ロドリックは、ブログで世界経済の逃れられぬトリレンマという説を唱えたことがある。

 1. グローバリゼーション(経済統合の深化)
 2. 国民国家(国家主権)
 3. 民主主義の政治

 のうち、どれか二つをとれば、残りの一つは達成できないという仮説だが、グローバリゼーションと国家主権をとって民主主義をあきらめるのが共産党が支配する中国、グローバリゼーションと民主主義をとって国家主権をあきらめるのがEUだそうである。とすると、アイデンティタリアニズムはグローバリゼーションをあきらめることで、国家主権と民主主義を維持しようとする試みなのかもしれない。

 アメリカとヨーロッパにおけるアイデンティタリアニズムの流れを眺めると、ある種複雑な感慨を覚える。というのは、私は似たような動きを前に見た覚えがあるからである。抑圧されてきた階層がネットを介して「声」を獲得し、なにがしかの社会変革を起こす。2010年ごろから始まり、中東やアフリカを席巻したアラブの春は、まさにこのようなものだった。その意味で、我々は、「欧米の春」を目撃しているのではなかろうか。

※当記事は「八田真行さんのブログ」からの転載記事です。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

豊田織機の非公開化報道、トヨタ「一部出資含め様々な

ビジネス

中国への融資終了に具体的措置を、米財務長官がアジア

ビジネス

ベッセント長官、日韓との生産的な貿易協議を歓迎 米

ワールド

アングル:バングラ繊維産業、国内リサイクル能力向上
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは? いずれ中国共産党を脅かす可能性も
  • 3
    トランプ政権の悪評が直撃、各国がアメリカへの渡航勧告を強化
  • 4
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 5
    アメリカ鉄鋼産業の復活へ...鍵はトランプ関税ではな…
  • 6
    関税ショックのベトナムすらアメリカ寄りに...南シナ…
  • 7
    ロケット弾直撃で次々に爆発、ロシア軍ヘリ4機が「破…
  • 8
    ロシア武器庫が爆発、巨大な火の玉が吹き上がる...ロ…
  • 9
    ビザ取消1300人超──アメリカで留学生の「粛清」進む
  • 10
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 4
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 8
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 9
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 10
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中