自称「救世主」トランプがアメリカを破壊する
Rick Wilking-REUTERS
<大衆の声を代弁する強いリーダーを気取るトランプだが、こうしたデマゴーグは社会の激動期に現われがち。同時多発テロ後に容疑者への拷問が横行した実例を考えても、注意が必要だ>(7月の共和党大会で候補指名されたトランプは自分だけが問題を解決できると豪語した)
古代ギリシャの哲学者はあなたの出現を予見していた。そう教えたら、ドナルド・トランプは大いに悦に入るだろう。うぬぼれ屋の彼のこと、「さもありなん」と言うかもしれない。
古代の賢人が警告してから2400年後、そして近代初の民主共和制の国アメリカが誕生してから240年後の今、賢者の警告を裏付けるようにトランプは出現し、アメリカの政治制度を破壊しようとしている。
トランプは「救世主」を自称している。混乱に陥ったアメリカを救えるのは自分しかないというのだ。7月21日、共和党全国大会で大統領候補に指名された受諾演説で今のアメリカを暴力やテロが吹き荒れる地獄のように描き出した。1時間を超える演説でトランプは聴衆を脅し、憎悪と怒りをあおり立てた上で偽りの安心感を与えた。私が大統領になれば、もう大丈夫、すべて解決してみせる、と。
アメリカが抱える数々の問題を「私だけが解決できる」――トランプがそう断言すると、ファシズムの時代に逆行したかのように2万人近い聴衆が歓声を上げた。トランプの顔に浮かんだのはムソリーニさながらの笑みだ。「(国務長官時代の)ヒラリー・クリントンの負の遺産は、死、破壊、衰弱だ」
そう決め付けると、トランプは「私があなた方の声だ」とがなり立てた。大衆の声を代弁すると誓ったつもりだろうが、「おまえたちは私の臣下だ」という独裁者の宣言に聞こえた。
【参考記事】戦没者遺族に「手を出した」トランプは、アメリカ政治の崩壊を招く
演説するトランプの後ろには大型スクリーンがあり、そこに映し出された巨大な彼の顔が会場を威圧的に睥睨(へいげい)していた。
その光景はジョージ・オーウェルの小説『1984年』の一場面そのものだった。「真実省」が虚偽の情報を流し、謎めいた「ビッグ・ブラザー」が人々を支配する息苦しい近未来社会。大衆は日々、敵に憎悪を燃やし、全知全能の神のような支配者に恍惚として忠誠を誓う......。
CIAが拷問をした訳
私はCIA時代に国際テロ組織アルカイダの幹部の尋問を行った。このときの経験が今のアメリカ政治においてトランプが体現しているものの正体とその危うさを教えてくれる。
9・11テロ後、私の同僚も全米の人々と同じく恐怖と怒りにとらわれていた。私たちは敵の攻撃を防ぎたかった。自分たちの国を、家族を守りたかった。自由と民主主義の国アメリカを守りたかった。
大統領が「より有効」な尋問方法を認め、その実行を命じた――私たちはそう聞かされた。それはアメリカの法律では明らかに拷問の定義に当てはまるものだった。だが、指導部は必要な措置として認めたという。
そう言われただけで十分だった。高潔で自制心ある人々、私の敬愛してやまぬ同僚たちが一瞬もためらわず、正義感に駆られてそれを実行した。彼らは法の支配と民主主義を守ろうとして、まさにそれを破壊する行為を受け入れたのだ。
何という矛盾だろう。拷問はあっという間に実行に移され、異議を唱えれば愛国心がないと非難された。私が同僚や上司、そして大統領に異論を唱えるのには、特別な勇気が必要だった。