自称「救世主」トランプがアメリカを破壊する
トランプは今、その政治的レトリックでアメリカ人に「拷問をしろ」と呼び掛けている。私たちが行ったよりもはるかに悪質な拷問だ。彼は特定の宗教を丸ごと排除せよと主張する。イスラム教徒の入国を禁止すると叫び、南米系の人々を「レイプ犯」と決め付け、不法移民を国外に退去させると豪語している。
そればかりかテロリストの家族は全員殺害すべきだと言いだし、拷問を禁じた法律があろうが米軍とCIAが拷問を渋ろうが「心配ない」と妙な安請け合いをしている。「私が命じれば、彼らはやる」と。
トランプの発言からうかがわれるのは、CIAの拷問よりもはるかに危険な野望だ。権力の暴走を防ぐシステムや法律があっても、専制的な「指導者」はいとも簡単に民主主義を破壊できる。その手法はこうだ。まずマイノリティーに対する憎悪と偏見をあおり、強権支配に警鐘を鳴らす知識人を大衆の敵に仕立てる。そしてエリートの支配を覆す大衆の戦いの先頭に立つ。
首尾よく政権を握ったらわれこそは「大衆の意思」の代弁者だと言い張る。後はそれを盾に取って自分に逆らう組織や不都合な制度を次々につぶすだけだ。
以上が、法に基づく民主的な統治を破壊する恐ろしいまでに簡単な方法だ。たった1人のポピュリズム政治家がいればすべてをたたき壊せる。
【参考記事】ライアンやマケインも敵に回し、ますます孤立するトランプ
ソクラテスの時代から
トランプはよく「いま何が起きているか知っているか」と聴衆に問い掛ける。その問いに答えるなら、トランプによる民主主義の破壊こそいま起きている危険極まりない事態だ。
共和党全国大会のステージで自身の巨大な顔の下に立ち、傲慢な思い上がりを全身にみなぎらせたトランプ。社会の急速な変化に怯え、不満を募らせている人々に、彼は甘い誘惑の言葉を投げ掛けた。強いリーダーが1人出現すれば、社会の転換期の混乱とストレスは魔法のように解消される、と。
プラトンの著作『ゴルギアス』では、ソクラテスが「古代ギリシャのトランプ」とも言うべきカリクレスと論戦を繰り広げる。テーマは理想の統治。カリクレスは強者が弱者を支配するシステムがいいと言う。「力は正義なり」という考えだ。世の中には「勝者」と「敗者」しかいないというトランプの考えと相通じるものがある。
だがソクラテスは言う。カリクレスやトランプのようなデマゴーグは人々の不安に付け込み、忠誠心を吸い取り、自分こそが人々を救う強いリーダーだと思い込ませる。揚げ句に人々の自由を奪い、希望さえも打ち砕く。
トランプの手法はソクラテスの時代から知られていたということだ。それにまんまと乗せられるのか。私たちの良識と判断力が問われている。アメリカ合衆国は今、震えている。
[2016年8月 9日号掲載]