毛沢東の亡霊がモスクワに? 中ロ激突前のはかない蜜月
欧米諸国欠席でも中ロは相思相愛に努めたが、冷戦以来の因縁はやがてシルクロードで炸裂する
対独戦勝70周年記念式典で歓談する習近平とプーチン Ria Novosti-REUTERS
社会主義国に生まれ育ったので、モスクワの「赤の広場」で繰り広げられる軍事パレードの映像を子供の頃から毎年のように見てきた。とてつもない広大な舞台だろうと想像していたが、実際に現場に立ってみると、意外と小さかった。
レーニン廟の近くに日本人の共産主義者、片山潜の墓もあったのには驚いた。さすがは国際共産主義の大本営だな、と感心したものである。「一つの亡霊、共産主義の亡霊がヨーロッパをさまよっている」とは、マルクスの予言だった。その後、20世紀は確かに地球の半分が赤色に染まったが、片山潜の母国は免れた。
共産主義思想が世界最初の社会主義国ソ連から消え去って、四半世紀が過ぎようとしている。そんななか、今月9日のロシア対独戦勝70周年記念式典の軍事パレードに何と、中国の毛沢東元主席が「出現」した。モスクワ近郊のイワノボ国際児童院から参加した中国人の子供らが「偉大な領袖、毛祖父(おじい)様の肖像画」を掲げて行進したのだ。
この児童院はかつて、世界各国から革命家の子供たちを受け入れる施設だった。毛沢東の子息、毛岸英も長く滞在したことで知られている。毛岸英は帰国後に中国人民解放軍の将校となり、朝鮮戦争で戦死した。一方で、中国の介入により半島の半分で天下の支配者となった金王朝3代目の「若き皇帝・金正恩(キム・ジョンウン)」はなぜか、今月の華やかな行事に姿を見せなかった。
毛沢東の「亡霊」が現れたのには、ジョージア(グルジア)の靴屋の息子スターリンも天国でびっくりしたのではないか。
歴史的に相手を信用できない中ロ両国
スターリンは、磨いたことのない黒い歯をした毛がとにかく嫌いだった。ひたすら中国西北部の奥地に潜んで日中戦争の指揮を執る毛は、日本軍と前線で戦うのを避けているかのように見えた。
スターリンが支持していたのは、日本軍と死闘を繰り広げた国民党政府だった。予想に反して、毛は中国全土を征服。毛がモスクワを訪ねて表敬の挨拶をしようとした際も、スターリンは1週間も面会を拒絶して冷遇したことはよく知られた事実だ。