最新記事

台湾

馬英九勝利でも消えない中国への「ノー」

2012年2月21日(火)13時01分
長岡義博(本誌記者・台北)

 馬が苦戦した背景には、人権や民主主義といった価値観だけでなく、強みとして打ち出してきたはずの経済成長が庶民の間で実感されていないこともある。

 中国政府寄りの馬は総統就任後、次々と大陸との経済交流政策を打ち出し、10年には自由貿易協定(FTA)に当たる経済協力枠組み協定(ECFA)を締結。中国政府から大きな譲歩を引き出し、中国側に台湾側の倍近い品目の関税撤廃を受け入れさせた。08年のリーマン・ショック後こそ伸び悩んだが、10年は10・88%という経済成長を実現した。

 ただ10年の成長率こそ10%を超えたが、それは08年と09年が伸び悩んだ反動で、08年から昨年上半期のGDP成長率は平均3・9%にすぎない。「アジアの四小龍」で比べれば、台湾はGDP総額でトップの座を韓国に奪われた。国民1人当たりGDPでもトップのシンガポールに2倍以上の差をつけられ、最下位に甘んじている。

政治的統一という恐怖

 成長の原動力である中国との経済協調路線も、実は構造的な問題を抱えている。台湾人の間には、交流のうまみを享受しているのは中国に工場を進出させた一部の金持ち投資家だけで、庶民はむしろ中国人労働者に仕事を奪われているという意識が広がっている。実際、台湾経済はGDP成長率こそ増加しているが、平均賃金はほぼ横ばい、貧困率は上昇という状態が続く。

 中国が関税撤廃で台湾に大きく譲歩したのも、香港をのみ込んだ「一国二制度」のような政治的統一が視野にあるからだ。中国と経済協力協定を結び、代わりに政治的な自由を失った香港のようになる代償が4%足らずの経済成長では割に合わない──そんな計算も台湾の有権者にはあったのだろう。

 1949年に国民党政府が大陸から台湾に移ってきて以来、台湾では長く少数支配者である外省人(大陸生まれの台湾人)と多数の本省人(台湾生まれの台湾人)の対立が続いてきた。90年代初頭に本籍法から祖先の出身地を記す規定が削除され、表面上は外省人と本省人の区別はなくなった。

 しかし出自の区別に代わって、現在は貧富の格差に加え、民主主義や人権を重視する若年層と経済成長を守ろうとする中高年層という世代間の対立が、台湾人同士の関係をより一層複雑にしている。

 投票前夜、外資系銀行員の女性は自家用車を運転しながら、隣に座る小学生の息子にこう語り掛けた。「外国人はみんな台湾が独立すればいいって言うわ。でも、物事はそんなに単純ではないのよ」

 中国との経済関係が断ち切れなくなるほど深まった今、民進党すら民主主義国として独立するという究極の理想を封印している。揺れ動く台湾人が今回選択したのも結局、現実だった。

 ただ今回の選挙結果を受けて、馬は対中融和政策をある程度スローダウンせざるを得ないだろう。投開票日の夜、当選が決まった馬が台北の選挙本部で支持者の前に現れると、空から突然大粒の雨が降りだし、演説が終わるとぴたりとやんだ。中国に寄り掛かる馬への「冷や水」だったのかもしれない。

[2012年1月25日号掲載]

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

英生産者物価、従来想定より大幅上昇か 統計局が数字

ワールド

トランプ氏、カナダに35%関税 他の大半の国は「一

ワールド

対ロ軍事支援行った企業、ウクライナ復興から排除すべ

ワールド

米新学期商戦、今年の支出は減少か 関税などで予算圧
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:大森元貴「言葉の力」
特集:大森元貴「言葉の力」
2025年7月15日号(7/ 8発売)

時代を映すアーティスト・大森元貴の「言葉の力」の源泉にロングインタビューで迫る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 2
    トランプ関税と財政の無茶ぶりに投資家もうんざり、「強いドルは終わった」
  • 3
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に...「曾祖母エリザベス女王の生き写し」
  • 4
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...AP…
  • 5
    アメリカを「好きな国・嫌いな国」ランキング...日本…
  • 6
    名古屋が中国からのフェンタニル密輸の中継拠点に?…
  • 7
    アメリカの保守派はどうして温暖化理論を信じないの…
  • 8
    【クイズ】日本から密輸?...鎮痛剤「フェンタニル」…
  • 9
    犯罪者に狙われる家の「共通点」とは? 広域強盗事…
  • 10
    ハメネイの側近がトランプ「暗殺」の脅迫?「別荘で…
  • 1
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 2
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 3
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...APB「乗っ取り」騒動、日本に欠けていたものは?
  • 4
    後ろの川に...婚約成立シーンを記録したカップルの幸…
  • 5
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に..…
  • 6
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコ…
  • 7
    「本物の強さは、股関節と脚に宿る」...伝説の「元囚…
  • 8
    「飛行機内が臭い...」 原因はまさかの「座席の下」…
  • 9
    為末大×TAKUMI──2人のプロが語る「スポーツとお金」 …
  • 10
    職場でのいじめ・パワハラで自死に追いやられた21歳…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 9
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中