最新記事

ブラジル

新大統領が背負うルラ後継者の十字架

卓越した個性と政治力で国を導いた現職ルラからバトンを渡される新大統領ルセフへの大き過ぎる「遺産」

2010年11月5日(金)15時27分
マック・マーゴリス(リオデジャネイロ支局)

 ブラジルもずいぶん成長したものだ。中南米最大の民主主義国で、元左翼ゲリラが大統領選の最有力候補になる──。ほんの数年前なら南米大陸の人々は精神安定剤を買いに走ったことだろう。

 しかし与党・労働党から立候補したディルマ・ルセフ前官房長官は世論調査で圧倒的な支持率を誇り、10月3日の選挙では決選投票を待たずに完全勝利を収めそうな勢いだ。なのに、ブラジルは不気味なほど落ち着き払っている。

 経済が急成長し、貧困は軽減され、貪欲な新しい中流層は買い物に夢中。ブラジルは最盛期を謳歌している。かつては金融不安の餌食になりやすかったブラジル経済は昨今の世界的不況をほぼ無傷で切り抜け、今年の上半期は10%という輝かしい成長率を達成した(年末には6〜7%にクールダウンするかもしれないが)。

 昨年には大西洋沖の海底で巨大油田が発見され、ブラジルが持つ油田の推定埋蔵量は最低でも90億バレルを超えている。国営石油会社ペトロブラスは9月に史上最大規模の新株発行を実施し、約670億ドルの資金を調達した。

 14年のサッカー・ワールドカップ、16年の夏季五輪の誘致にも成功し、政府はインフラ整備やスラム街の撤去など国の化粧に余念がない。2つの国際大会がもたらすカネと栄光をどう利用するかという議論も盛り上がっている。

 もっとも、心配なのはルセフの過激な過去ではない(64〜85年の軍事政権時代には投獄されて拷問を受けた)。彼女が再び銃弾ベルトを肩に担ぎ、国の舵を極左に切ることはないだろう。

 現職のルイス・イナシオ・ルラ・ダシルバ大統領の下で鉱業・エネルギー相と官房長官を務めたルセフは、数字と円グラフを使いこなす有能な現実主義者であることを実証してきた。選挙戦中も有権者や経済界、マスコミに向けて、インフレを抑制し、国の借金を返して市場経済の基本原則を尊重すると繰り返し強調してきた。

革命家から官僚に転進

 それ以上に重要なのは、自分を後継者に指名したルラに従うと、ルセフが明言していることだ。ルラは優れた統率力と政治的良識でブラジルの安定と繁栄を維持してきた。「ルラの路線を歩み続けよう!」と、ルセフは選挙演説で繰り返した。

 問題は、それが決して容易でないことだ。大統領として2期8年、ルラは国内では緊縮財政を行い、国外では不遜に見えるほど強気に振る舞ってきた。

 不安定だったブラジル経済を安定させ、国際社会の要人や債権者からは称賛を勝ち取った。イランのマフムード・アハマディネジャド大統領やキューバのカストロ兄弟など、欧米嫌いの独裁者や野蛮な指導者もうまくおだててきた。

 ルラの市場志向の経済政策から取り残されたように感じていた国内の左派勢力も懐柔した。3万1000人以上の政府雇用を含む公共サービス部門の雇用を創出して彼らを取り込み、中道左派の連立政権を利権と特権で手なずけ、大統領としてほぼ無制限の権力を握ったのだ。

 ルラは市場原理主義者ではないが、競争の激しい世界経済で生き残るために必要な嗅覚がずばぬけている。批判やスキャンダルに強い「テフロン宰相」でもある。一連の汚職スキャンダルや違法行為で官房長官2人を含む側近中の側近や議員たちが失脚しても、彼は無傷だった。

 このような問題の手綱をさばくには、カリスマ性と外交手腕と優れた政治力が必要だ。そんな資質を兼ね備えた指導者は中南米にはほとんどおらず、もちろんルセフにだってそれはない。

 ルセフは中南米の多くの元ゲリラと同じように革命家から官僚社会に転進し、公務員として出世の階段を上った。ポルトアレグレ市の財務長官、リオグランデドスル州のエネルギー長官を経てルラ政権で閣僚、そして官房長官に。細部にうるさく行政官としては有能と評価されているが、つい数カ月前まで知名度は低かった。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、米軍制服組トップ解任 指導部の大規模刷

ワールド

アングル:性的少数者がおびえるドイツ議会選、極右台

ワールド

アングル:高評価なのに「仕事できない」と解雇、米D

ビジネス

米国株式市場=3指数大幅下落、さえない経済指標で売
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 4
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 5
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 6
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 7
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 8
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 9
    メーガン妃が「アイデンティティ危機」に直面...「必…
  • 10
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ...犠牲者急増で、増援部隊が到着予定と発言
  • 4
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    墜落して爆発、巨大な炎と黒煙が立ち上る衝撃シーン.…
  • 9
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 10
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のア…
  • 10
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中