出口の見えない第2の「英国病」
一般の国民に加え、指導層の間にも「対米従属」への不満が強まった結果、ブレアの首相としての権威は傷つき、国内政策の足を引っ張った。イギリスの地政学的立場からみて対米協力のほかに選択肢はない──この古い常識はもはや通用しなくなっていた。
ことによるとブレアは、イギリスの必然的な衰退を先延ばししただけなのかもしれない。イギリスの影響力低下は世界情勢の変化がもたらした結果であり、その意味ではアメリカの相対的な力の低下と似ていなくもない。
世界での過大な軍事貢献があだに
イギリスは今回の世界的な景気後退で最もひどい打撃を受けた国の1つだ。経済的繁栄を支える強力なエンジンだった金融部門は、今ではブレーキのように感じられる。イギリス経済は過去50年間で初のデフレに突入。先進国のなかで最も深刻で長い景気後退のさなかにあると、IMFはみている。
失業保険の申請者数は99年の130万人(全労働者の4・6%)から200万人以上に増え、このままいけば300万人を超えそうな勢いだ。OECD(経済協力開発機構)は、今年後半からイギリスは景気回復に向かう可能性があると予測しているが、日本やアメリカといった他の先進国よりも遅れるという。
現在のイギリスは先進国で最悪水準の財政状況に苦しんでいる。原因はここ数年の財政支出の拡大だ。それに伴い増え続ける政府借り入れのペースは一部の新興国すら上回っている。ある評論家は、アイスランドのように国家財政が破綻する危険性もあると指摘した。
頭痛のタネは経済だけではない。イギリスはここ数十年間、国際社会で自国の規模に見合わない重要な役割を追求してきた唯一の国だ。
冷戦時代、マーガレット・サッチャー首相は自分をロナルド・レーガン米大統領に次ぐ自由世界のリーダーと見なし、ソ連を崩壊に追い込んで資本主義に勝利をもたらした立役者の1人を自任していた。ブレア政権の10年間(97~07年)、イギリスはコソボ、アフガニスタン、イラクの戦争に参加。アメリカに次いで多くの兵を派遣した。
だが状況は変わった。「イギリスは相対的に豊かで、国連安全保障理事会の常任理事国の地位にあるものの、力は低下している」と、英公共政策研究所のイアン・カーンズは指摘する。
同研究所が先頃行った安全保障問題の調査に協力したパディ・アッシュダウン元自由民主党党首は、1962年に当時のディーン・アチソン米国務長官が口にしたこんな言葉を思い出したと語る。「帝国を失ったイギリスは、まだ自国の役割を発見できていない」
大国の象徴、核兵器の未来に暗雲
イギリスは今も世界屈指の国防予算を維持しているが、それも長続きしそうにない。アフガニスタンが夏の「戦闘シーズン」を迎え、イギリス兵の死者が急増すると、与党・労働党も保守党も、現場の兵士を危険にさらす国防予算の削減に踏み切ることはないと口をそろえた。
だが、長期的にみれば国防費の大幅削減は避けられないと専門家は言う。王立統合軍事研究所(RUSI)のマルコム・チャルマーズは最近の報告書で、国防予算は今後6年間で実質11%削減されると予測した。海兵隊出身のアッシュダウンは、現在350億ポンドの国防予算を4分の1近く減らし、伝統的に「軽武装」の欧州大陸諸国と歩調を合わせる必要があるかもしれないと指摘する。
予算が減れば、世界におけるイギリスの軍事的役割も小さくなる。NATO(北大西洋条約機構)にも重大な影響が出るだろう。
イギリスはアフガニスタンを含むNATOの軍事作戦にアメリカに次ぐ兵力を派遣している。この熱心な姿勢には、他のヨーロッパのNATO加盟国に積極的な参加を促す効果があったが、イギリスの関与が低下すれば逆の影響が出るはずだ。NATOの軍事機構に復帰したばかりのフランスの立場が相対的に強まり、米欧関係がさらに複雑化する可能性もある。
イギリス軍は7月末にイラクから完全撤退したが、米軍首脳はずっと以前から、イギリス国内で高まるイラク駐留反対の声を懸念していた。アフガニスタンの軍事行動についても、イギリス兵の犠牲者が増えると同時に国民の支持は低下している。7月の世論調査では、回答者の半数がこの戦争には「勝てない」と答え、イギリス軍の即時撤退を支持した。